宅配便を送ろうと、集荷の電話をしました。
かつてはすぐにコールセンターの担当者につながったのですが、
スマホがひろまってからは「ラインでも…」なんぞと、あれこれ説明があり、
最期に「電話をご希望の方は…」となります。
まぁそれでもつながりますからそれでよかったのですが、
わずかのあいだに、ついに「AIがが対応いたします」になりました。
電話番号に間違いはないかどうか、住所を、氏名を、そして集荷時間の希望など。
「…の場合は『ない』とお答えください」…機械相手でも「ない」というのはいやなので、
「ないです」と答え、それは当然AIですから認識してくれましたけれど、
「あらへんよ」とか「ねーよ」と言っても通じるのかな?
そして、人間相手だと「ありがとうございました」で「こちらこそ」とか「よろしく」とか
会話の端切れみたいなものがありますが、AIサマはお忙しいのでしょう、
用件がおわったとたんにプツンときれました。かわいい女性の声ではありましたが、
なんかココロさみしくなりました。
確かに今はコロナですから、たくさんのオペレーターの方も、出社するのもたいへんなのかもしれません。
コロナのためだけではないのかもしれませんが、なんでも人員削減なのですねぇ。
かつてスマホが出始め、すぐに「地図アプリ」が出たとき、
ニュースで「これからは人に道を聞かなくても迷うことはありません。
スマホが目的地までの地図を教えてくれます」と、スマホ片手に歩く人の姿を映し出してました。
それを見たとき、私は「ああこれでまた人との会話が減るなぁ」と思いました。
人に道を聞く、ということは、ほんのわずかの会話でも、それがたぶん一期一会であっても、
人と関わりを持つことです。四つ角のたばこ屋さんにはたいがい「看板娘」や「看板おばぁちゃん」がいて
いつもきかれるものだから、慣れた様子で「ここまっすぐね、で、二つ目の信号右だよ」なんて…。
些細なことかもしれませんが、まったく知らない人に「すみませんが」と声をかける、
親切に教える、ありがとうございますと立ち去る…そんなことでも、
人と人が話をするということは、大切な気がします。
誰にもたよらなくても、誰とも一言も話さなくても、ちゃんといきたいところにいけるのは、
便利なことではあるけれど、さみしいことでもあるんじゃないかと、そんな気がします。
宅配のおにいさんも、今はコロナで玄関先に置配が主流です。
きっと仕事は早く済むと思いますし、配達する側からすればありがたいことなのかもしれませんね。
それでも、うちに来てくださる人の中には、ちゃんと声をかけてくださったり、
こちらがおばぁちゃんなのは一目瞭然ですから「カゼはやってるから気を付けてくださいねー」なんて、
気にかけてくれる人もいます。
AIのかわいいけれど、向こうに人はいないんだという現実にちと戸惑いながらも、
とりあえず集荷のお願いはできました。
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