ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

ぽちっと・・おまけ

2006-08-30 22:24:39 | つれづれ

「包み」のお話、ちょっとだけおまけ・・です。
祝儀袋のミニ版「ポチ袋」のお話。写真は我が家に今ある「ポチ袋」です。
紋入りは、冠婚葬祭のときの「お車代」など用に、
干支の凧柄は甥・姪用、残りはこれだけでも手紙に入れたりしているのですが、
「ちょっとしたお願い絵馬」というのもの、小さい絵馬が入っていて、
封筒の柄によって中の文が違うもの、これはある頒布会で手に入れたもので、
もうなくなっちゃうんですよねぇ。

ポチ袋の「ポチ」と言うのは、関西で芸妓さんなどにあげる「ご祝儀」のこと。
それほどの額でもないことから「これっぽっち」のポチの意味とか、
ポチッと・・など「点」の意味から・・など、語源の説はいろいろ。
いずれも「ほんの気持ち」という程度のお金を入れる祝儀袋のこと。
お年玉などはイマドキは「ポチ」とはいえない金額のこともありますねぇ。

さて、このポチ袋、たいがいはお札を四つ折りか三つ折りで入れる、
縦長が一般的ですが、その半分サイズのポチの更にポチ?を、
最近関東でも見かけるようになりました。
以前は関西でないとなかったように思うのですが・・。
これは、今の時代だと500円玉を入れるのにちょうどいい大きさで、
小さい子へのお年玉にいい・・と聞きます。
友人は海外旅行の際、これにチップを入れて渡したところ、
中身より外の袋を喜ばれた・・といってました。
「むき出し」が当たり前のチップ(だそうですね)を、
和風柄のものに入れたことで、えらくサービスよかった・・と。
いろいろ使い方はあるものです。

もうひとつ、日本には「折紙」というたいへん美しく、優れたものがあります。
自分で作ってみるのもいいんじゃないでしょうか。
写真は、手持ちの折紙でちょっと折ってみたもの。
さんざんいろいろ使ったあとでして、いい色が残っておりませんで・・。





折紙にも「和紙柄」とか「ぼかし柄」とか、最近は安価でも、
ちょっとシャレたものがいろいろ販売されていますし、
こんなところもちょっと「手作り」で、という楽しみもあります。
上に置いたのは「ベビーシューズ」、すみません、本来は黒いひものとこ
リボンを使うのですが、なかったもので・・。
ブルーのほうは、フラワー用のペップを使っています。
このシューズは、出産祝いにカード代わりにつけるものなのですが、
この折紙にはひとつ思い出があります。

もう6年くらい前のことになりますか、息子が肺炎で入院したときのこと。
小児科にベッドのアキがなく、また息子の場合はさまざまな理由から、
私も一緒に「入院」になりますので、半月ほど私も病院暮らしを致しました。
息子が少し落ち着いてくると、こちらもずっとそばに座っているのもしんどく、
気分転換に談話室へ行ってテレビを見たりしておりました。
毎日のことで、そこにくる入院患者さんたちともおしゃべりを、
するようになったのですが、そこは「ガン患者さん」の多いフロアでした。
あっけらかんと「オレ○○ガン」「私はは○○ガンよぉ」とまぁ明るいこと・・。
ことのほかにぎやかにしゃべりあうのが常でした。
一人、根っからの職人さんがおりまして、そのヒトはウデは確かだったらしく、
「いっしょけんめ稼ぎまくったから、家族にゃビンボーさせなかったし、
子供だってちゃんとガッコやったしよぉ、だけんどその分、テメェも遊んでなぁ
かーちゃん泣かしたこともあってよぉ・・今こんな病気になっちまって、
息子に『自業自得だ』って言われてんのよ」・・と。
どうやら奥さんはちゃんと毎日のように来るらしいのですが、
父親を嫌った息子は、見舞いにもなかなかきてくれず、
きても「ざまぁねぇな」くらいのことしか言わないようでした。
「しょーがねぇんだけどよぉ」・・・といいつつ、さみしそうでした。
私は、自分が命に関わるような病気にかかっていないので、
彼の気持ちを全部理解することはできませんでしたが、
シゴトもできなくなり、死と隣り合わせの今、家族にそんなふうに言われるのは
さぞつらいことだろうと思っていました。
ある日、いつもにぎやかなその「職人さん」が、手術が近いこともあって、
ちょっと元気がなくなり「結局、ガンにゃぁ勝てねえかもしんないしなぁ・・」と
ポツンといいました。私は思わず「んなこたぁあるめぇ・・」と。
そこにいる人たちは「切れば治る」といわれている人も「切っても生存確率は」
といわれている人もさまざまです。ちょっと迷いましたが、
私はその人に「考えてもごらんよ、ガンってうつる病気じゃないんだわよ、
インフルエンザみたいに、誰かにうつってそこでまた菌でも増やすならともかく
ガン細胞ってアホだから、自分の宿主の体痛めつけて、
宿主がダメになったら自分だってダメになる、つまりガンとの闘いってのは
『最悪でも相討ち、負けはない』ってことでしょ。負けるというなら、
そりゃ『気持ち』で負けるってことじゃないの?」と。
私の隣で、ウンウンと聞いていたその職人さんとは反対隣にいた人が、
突然「あぁそうか、そうだよねほんとにそうだよね」と・・。びっくりしました。
そのヒトは、いつもニコニコしながら「聞き役」ばかりで、あまりしゃべらない
40ちょっと前くらいの男の人でした。学校の先生・・という雰囲気。
今までしゃべらなかったその人が、私に「ボク、白血病なんです」と言いました。
聞けばお姉さんから、骨髄移植をうけることができ、
一度は治ったものの再発したのだそうです。骨髄移植と言うのは、
一度再発すると、もうできないのだそうで、その人はそのとき、
「アメリカで開発されつつある新薬」をとにかく試してみる以外にない・・
という状態で、その薬の効果がもうそろそろ表れないと・・という
タイムリミットの時期だったのです。
中学生の子供がいるそうで「まだ死ぬわけにいかないのに・・」と、
日々悶々としていた・・と。そこの場所に来るのは、同じ病気の人たちの中で
「ダメかも」とか「いやがんばらなくちゃ」とか、そういう言葉を聴くことで、
自分だけじゃない・・と安心したり、気持ちを奮い立たせたり・・、
そういう状態だったようです。私の「最悪でも相討ち」というのを聞いて
「負けはナシってことだよね」・・と、確認するようにいいました。
「気持ちで負けたら『負け』になっちゃうんだよね」と。
「職人さん」と「先生風」の二人は、「負けてらんないね」と、
ちょっと涙ぐみながら言ってくれました。
「ここから出るときゃ、がんばこ(お棺)に入ってかなぁと思ってたけど
テメェの足で歩いて出てえょなぁ」と、
そういって二人で「がんばろうな」と言い合っていました。
その日、息子の退院が翌日と決まりました。
私は売店で折紙を買ってきて、その二人に「靴」を折りました。
お見舞いにもらったお花のリボンを結んで、折紙で箱も折って、
その中にちゃんと一足ずつ詰めて、カードがなかったので、
小さく切った折り紙に「必ず自分の足で歩いて、おうちに帰りましょう!」と。
二人に渡すと「意味」をわかってくれて「お守りにする」といってくれました。
息子は無事退院して病院をあとにしました。実際入院は親子共々しんどいこと、
それでも私はそのときほど「もう大丈夫ですよ」といわれて退院することの
ありがたさをしみじみ思ったことはありません。
その後、職人さんが手術を受けたあと、一度お会いしましたが、
やせ細ってしまったけれど、ニコニコして「よぉ、坊主元気んなったなぁ」と
息子に声をかけてくれました。息子さんが車イス押してました、よかったです。
先生風の人はどうなったか、それっきりになってしまいましたが、
私はきっと「負けず」にがんばったはずだと思っています。

このところ毎日のように、イヤな事件の報道があります。
心がふさぐような哀しい、また腹立たしい事件の報道を見るたび、
私は「病気と闘っている人」のことを思い出します。
生きたいと願っても生きられない人がいるのに、
どうして命を粗末に扱うのだろう、
どうして「生きている」ということに感謝できないのだろう・・と。

なんだか、重い話しになってしまいました。すみません。
明日は何を書きましょうか・・ってネタ切れ・・どーするとんぼ!








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5 コメント

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Unknown (キャット)
2006-08-30 22:48:31
 とんぼさん、こんばんは。

 かるぱんといい、包み物といい、きょうの折り紙といい・・・とんぼさんの才能と知識の深さに益々惹かれています。

 そして、きょうの入院患者さんのお話には心を打たれました。

 良いお話を聞かせていただいて有難うございました。

 

 命があって、家族がいて、毎日ご飯を美味しくいただけて・・それだけでこんなに幸せなことはないのですよね。



 それから、メールでお話した浅草で買ったもんぺですが、その姿を4歳の孫に

「お尻が大きいよ~!」

といわれてしまいましたので、今改造中です。

 マチの大きさなど参考にさせていただいております。初めは直そうと思う部分をほどいていたら、結局かなりほどいてしまうことになりましたが、暇を見てぼちぼち・・自分にちょうどいい物にするつもりです。
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眠れる森の美女 (うまこ)
2006-08-30 23:13:25
生きる上でなにか障碍があると

とたんに腹を立て、

他者の責任を追及したがるのは

生きるということがあまりに容易になったので、

ありがたみが無くなってしまったからでしょうか。

生き延びるのに、本来なら自分の努力がとても必要なのに、

努力なしに人を当てにするようになったのは

戦後派の我々が人々を(自分自身や子供達を?)

物語のように危険なものを排除したり、

甘やかしてしまったから?



時々病気をするとそれが実感できるのに、

病気も一生懸命無くしてるし

便利になっていつでも物が買えるし。

などといいながらも、

しぶしぶ世の中に追従している私です。
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Unknown (陽花)
2006-08-30 23:24:29
ベビーシュウズの折り紙にそんな

思い出があったのですか・・・

さりげなく、それでいてすごく心の

こもったプレゼントだと思います。

お守りのすると言われた気持ち

本当にうれしかったのだと思います。

以心伝心やはりとんぼ様の心が通じた

のですね。
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踏みあがる (空朱)
2006-08-31 06:40:43
履物のプレゼントには

「快くなって元気に歩き回れますように」

というメッセージがあると聞きました。



癌も告知するのがあたりまえの世の中になっていたのですね。

知っていればこそ

まだ そこから始まるものもあるのですから。

その方なりの生き方が。





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Unknown (とんぼ)
2006-08-31 12:13:10
キャット様

「何事もない幸せ」っていうんでしょうか、

普通で平凡・・いいと思うんですけどねぇ。

もんぺ、改造成功をお祈り致します。



うまこ様

テレビもなかった、電話も借りにいった、

クーラーなくて蚊帳つって開けっ放して寝てた・・

めんどくさくても暑苦しくても

今よりずっと穏やかだったような気がします。

なくしたもの、いっぱいありそうで・・。



陽花様

ありがとうございます。

病院というところは、行くのがつらい所ですけれど、

自分の健康に、改めてきづくところでもあります。



空朱様

そんな意味があったとはしりませんでした。

知らないうちに、応援歌になっていたのなら、

ありがたいことです。

崖っぷちに立たされた時、

人は真価が問われるのでしょうね。

病気でも心だけはものすごく元気な人、

たくさん見ました。

負けないようにがんばらなくっちゃ、です。

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