この前お話したように、私の小さなお雛さま用に、
お膳とか高杯とかを、ひとつふたつと見つけていたのですが、
これをみつけたときに「どうしてもバサマからもらったお雛様の前に」と、
そう思ってしまいました。
お琴についてはほんとに知りませんねぇ。琴の歴史は古いですが、
元々口で息を吹き込む管楽器よりも、手や道具で音の出せるものの方が、
楽器としては位置づけが上だったこと。
琴は指で押さえて音階をかえる、筝は琴柱で音階をかえる、
今「琴」と呼んでいるのは本来は「筝」であるとか…。そんな程度です。
琴柱も立てようとしましたが、糸が切れそうでこわいので、
とりあえずそのままにして写真撮りました。琴柱の数が足りないです。
糸が見えるように少し明るい目に調整したのですが見えませんかねぇ。
実際にはもう少しくすんで落ち着いた木の色です。
サインペンは大きさ比較です。お琴は40センチくらいです。
飾り紐の下、ここだとちゃんと琴糸も見えますね。
バサマは自分のお雛様は持っていませんでした。
聞くところによると、バサマの実家は田舎ではありましたが、
和菓子の店をもっていたり、長屋を持っていて人に貸していたり、
小作の人に田畑を貸したりと、かなり裕福だったようなのです。
ところが、祖父という人が「お人よしのボンボン」だったそうで、
よくある「保証人のハンコついちゃってどーのこーの…」、
それで没落したそうなんですが、それがバサマが生まれた頃のことで、
バサマは「物心ついたときから押しも押されもしない、
正真正銘のビンボーで、お金持ちだった記憶は皆無」だそうです。
いろいろ道具もあったようですが、母が子供時代には、
お雛さんはもうなかったようです。
そんなこともあって、バサマはずいぶん年をとってから「自分のため」にと
お雛様を買いました。30センチに少し足りない木目込みの立ち雛です。
毎年飾っていたのですが、数年前に「出すのがめんどうになった」と、
私のところへやってきました。お前には小さいのしか買ってやれなかったから、
といういい理由ですわ。おかげで毎年チマッとしたものですんでいたのですが、
台から並べたら畳半畳は使うような、りっぱなものがきちまいました。
前置きが長くなりましたが、この大きなお雛様にはお膳よりも、
化粧道具かタンス、もしくはお茶道具にしようかと思っていたのです。
そんなときにこの「雛道具・琴」を見つけまして「これや!」と、決定。
実はこれ、京都は「丸平」さんのものです。
丸平というのは「丸屋 大木平蔵」というのが正式名称。
江戸時代からの由緒ある人形司です。私、丸平さんという名前しか知りませんで、
ちっと調べましたところ、もちろん今でもありまして今は七代目さん。
このお琴の入っている箱がありまして、フタの裏に名前があります。
この「丸平」さんの商標、HPで見つけました。明治43年以降のものです。
このお琴はフタの裏に「大正三年三月吉日」と書かれています。
確かに、商標もそのとおりでした。
こんなお琴をお雛道具として贈られた女の子、ええしのお姫さんどしたやろなぁ。
お琴がこれですからそのほかのお道具も、さぞかしりっぱだったことでしょうし、
それを並べてもらえるお雛さんも、きっとミゴトな作りだったことでしょう。
フタの裏の日付どおり、大正3年にもし初節句だとしたら、
おひいさん今年で94歳です。ご健在かなぁ。
どこをどう流れてここまできたのか分かりませんが、
我が家の小さな立ち雛の前で、もう一度並んでもらいましょう。
かつてのひな壇とはくらべるべくもない場所ではあるでしょうが、
我が家のお雛さんたちに、昔話など語ってやってくださいまし。
お膳とか高杯とかを、ひとつふたつと見つけていたのですが、
これをみつけたときに「どうしてもバサマからもらったお雛様の前に」と、
そう思ってしまいました。
お琴についてはほんとに知りませんねぇ。琴の歴史は古いですが、
元々口で息を吹き込む管楽器よりも、手や道具で音の出せるものの方が、
楽器としては位置づけが上だったこと。
琴は指で押さえて音階をかえる、筝は琴柱で音階をかえる、
今「琴」と呼んでいるのは本来は「筝」であるとか…。そんな程度です。
琴柱も立てようとしましたが、糸が切れそうでこわいので、
とりあえずそのままにして写真撮りました。琴柱の数が足りないです。
糸が見えるように少し明るい目に調整したのですが見えませんかねぇ。
実際にはもう少しくすんで落ち着いた木の色です。
サインペンは大きさ比較です。お琴は40センチくらいです。
飾り紐の下、ここだとちゃんと琴糸も見えますね。
バサマは自分のお雛様は持っていませんでした。
聞くところによると、バサマの実家は田舎ではありましたが、
和菓子の店をもっていたり、長屋を持っていて人に貸していたり、
小作の人に田畑を貸したりと、かなり裕福だったようなのです。
ところが、祖父という人が「お人よしのボンボン」だったそうで、
よくある「保証人のハンコついちゃってどーのこーの…」、
それで没落したそうなんですが、それがバサマが生まれた頃のことで、
バサマは「物心ついたときから押しも押されもしない、
正真正銘のビンボーで、お金持ちだった記憶は皆無」だそうです。
いろいろ道具もあったようですが、母が子供時代には、
お雛さんはもうなかったようです。
そんなこともあって、バサマはずいぶん年をとってから「自分のため」にと
お雛様を買いました。30センチに少し足りない木目込みの立ち雛です。
毎年飾っていたのですが、数年前に「出すのがめんどうになった」と、
私のところへやってきました。お前には小さいのしか買ってやれなかったから、
といういい理由ですわ。おかげで毎年チマッとしたものですんでいたのですが、
台から並べたら畳半畳は使うような、りっぱなものがきちまいました。
前置きが長くなりましたが、この大きなお雛様にはお膳よりも、
化粧道具かタンス、もしくはお茶道具にしようかと思っていたのです。
そんなときにこの「雛道具・琴」を見つけまして「これや!」と、決定。
実はこれ、京都は「丸平」さんのものです。
丸平というのは「丸屋 大木平蔵」というのが正式名称。
江戸時代からの由緒ある人形司です。私、丸平さんという名前しか知りませんで、
ちっと調べましたところ、もちろん今でもありまして今は七代目さん。
このお琴の入っている箱がありまして、フタの裏に名前があります。
この「丸平」さんの商標、HPで見つけました。明治43年以降のものです。
このお琴はフタの裏に「大正三年三月吉日」と書かれています。
確かに、商標もそのとおりでした。
こんなお琴をお雛道具として贈られた女の子、ええしのお姫さんどしたやろなぁ。
お琴がこれですからそのほかのお道具も、さぞかしりっぱだったことでしょうし、
それを並べてもらえるお雛さんも、きっとミゴトな作りだったことでしょう。
フタの裏の日付どおり、大正3年にもし初節句だとしたら、
おひいさん今年で94歳です。ご健在かなぁ。
どこをどう流れてここまできたのか分かりませんが、
我が家の小さな立ち雛の前で、もう一度並んでもらいましょう。
かつてのひな壇とはくらべるべくもない場所ではあるでしょうが、
我が家のお雛さんたちに、昔話など語ってやってくださいまし。
友達がいまして遊びに行くと、時々
爪をつけて「さくら、さくら」を
弾かせてもらいました。
だからいまだにお琴を習いたかったと
思います。
可愛いお道具のお琴、夢があって
いいですね。
お雛様もちゃんと飾ってもらって喜んでいますね、我が家は・・ついつい面倒で、内裏雛だけだったりして・・たまには・全部と思うのですが、段を組むのがまず・・おっくうになりなす。
実際におままごとのようにできるような造りだったかな?
聞いております。
どんなお嬢様が手にしたのでしょうか。
想像するのも楽しいですね。
私の家の系統にはお雛様があったようには記憶がありません。
野郎が多かったため、あっても知らん振りだったのかもしれません。
ところが孫が出来て嫁さんのご両親が狭いマンション用にプレゼントされたようです。
ガラスケースに入れられていて、ひな祭りの前迄、我が家で預かります。
こんなものに興味ができて大事にするようになるのはいつごろのことでしょうかね。
お琴って、とても優雅ですよね。
弾かせてもらったんですかぁ、いいなぁ。
私も一度触ってみたいものと思っています。
小さなお道具は、ほんとに夢のカタチですねぇ。
蝸牛様
あの大きな段飾りは、本当にタイヘンです。
いとこが一人、大阪箕面の旧家に嫁いだのですが、
初めてのひな祭りに、座敷ぶち抜き、
三代さかのぼってお雛様をならべるのが決まり…。
私は一度でいいから招待されたかったです。
いまやお姑さんたちもみな送り、自分の代ですが、
「そんなめんどくさいこと、してられへん」
あぁお願い、捨てないで売らないで壊さないでぇ~と
大阪に向かって毎年祈っています。
えみこ様
いわゆる「おままごと道具」ですよね。
火鉢だのお花見弁当のお重までありますね。
きれいなおべべで、ひな祭りしてみたいものです。
Tatehiko様
写真には撮りませんでしたが、
お名前がはいっていますので、
ええしのお嬢様の初節句のお祝いと思います。
クリスマスはともかく、おひなさまは、
比較的みんな昔から気にしていましたよ。
戦争でみんな焼けてしまったから、
新しく買い揃え、お嫁入りには持たせたんですね。
私の友人も、だしてないけど持ってる、とか
姉がもっていったので買ってもらったとか、
けっこう大事にしている人、いますよ。