ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

五輪日程の真ん中ではありますが…

2016-08-15 15:04:05 | つれづれ

 

8月15日、戦争の終った日です。

 

昨日、テレビで「64年前のミシン」を修理して、…という番組を見ました。

ミシンを持っていき、ふたをしめた状態で置いたら、それが何であるか、

若い人はだれもわからなかった…そうかぁそれだけ年月がたっているんだぁと。

 

私の眼には懐かしいと思うものが、今の20代の人には「なんだかわからないシロモノ」、

それはそれで仕方のないことですが、そのとき「目の前にないこと」「見たり聞いたりしたことのないこと」は、

忘れられるというより、最初から「ない」のだということです。

戦争の話、それを伝えることがどれだけ大切か、一台の古いミシンを見ていて、そんなことを思いました。

 

実際に戦争を体験した人はどんどん減っています。実際に戦場で戦った人の数は、さらに少ないです。

話してほしい、と思っても、実は「話したくない」「話したくなかった」という人が多いのも、また事実です。

今は「PTSD」という言葉も定着していますから、戦争の経験者の口が一様に重かったことも、

それはそれで理解できます。当時、戦火の中を逃げ惑ったとか、家族を目の前で亡くしたとか、

さらには、戦線にいた人は、人を殺した経験もあるでしょう。できることなら封印したまま、墓場まで持っていきたい

忘れられるものなら、きれいさっぱり消し去りたい記憶であることでしょう。

それでも、ここ10年ほどでしょうか、「やはり伝えておかなければならない」と、

重い口を開いてくださる方も出てきました。

私たちは、経験がないのですから、何度でもそういうお話には、耳を傾けるべきと思っています。

 

私には戦争の経験はありませんし、戦後の暮らしも25年から、それでもまだみんなが

それほど裕福ではなかった時代は知っています。

戦争がなかったら、あの暮らしもまた違ってものになっていたはずです。

母や身内から聞けた話は、戦争そのものよりも「それによって」のことが多いように思っています。

たとえば着物ひとつとっても、それが着られなかった、みんなモンペにしてしまった、

戦後は着物が「お米」や「野菜」に姿をかえた…。それも大切な話だと思っています。

 

今の時代は「戦争があった上」にあります。

物が豊かになり、便利になりすぎて、人は呆けていくのではないかと、そんな危惧を持つ時代です。

語り継がねばなりません。聞き続けなければなりません。

過去と今と未来は、どこまでもつながった一本線上にあるのですから。


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