写真は護王神社の「お守り袋」、イノシシさんが走ってます。お話はのちほど。
来年の干支はイノシシさんです。母が存命なら96歳の年女です。
来月早々、予約してある年賀状が届くことになっていて、毎度のコトながら
あぁもうその時期なのねぇと同じことを思い、そしてまた同じように「早くやらなきゃ」と思うわけで…。
ま、いつもどおりの予定ですが、毎年の干支でイノシシはどうも絵としてイマイチ感が否めません。
元々十二支の中では、着物の柄にもけっこういいのがあったり、絵にしてサマになったりするものと、
どうしようかと悩むものがあります。イノさんは後者のほう。
年賀状の無料素材などもヤマほどありますが、かわいらしいか豪快か…どっちかですねぇ。
かわいいとどうしてもマンガチックになっちゃうし、リアルだとカッコイイ姿になりづらいし。
ちなみに今年準備の「おみくじイノシシ」はこんな感じ。コロコロしたイノさんです。
ちゃんとおみくじになってまーす。元日にこれを引くのが楽しみで…。
さて、イノシシといえば、私がすぐ思い浮かべるのが、最初に書きました京都「護王神社」。
トップ写真のお守りさんを授けてもらえるところ。以前書いたことがあると思いますが…忘れてます。
「護王神社」は、京都の御所すぐそば、有名な「蛤御門」の前を少し下がった向かい側にある小さな神社です。
祭神は「和気清麻呂」、わけのきよまろ、です。奈良時代のひとですね。
私の年代だとだいたい知っているかと思いますが「弓削道鏡事件」、
日本のラスプーチンと言われることもありますが、要は僧侶が天皇の地位をねらった…といわれる事件です。
ま、あれこれあって弓削道教は失脚し、一時は道教のせいで流罪になっていた和気清麻呂がふっかーつ!
帝にお仕えし、さまざまな功績を遺した…というお話し。元々は高尾の神護寺に霊社として祀られていたものを、
後年「神格」を認め、神社に祀ったというわけで、神社そのものの創建は明治です。
で、清麻呂さんとイノさんの関係ですが…弓削道教が帝になれなかった腹いせに、彼を流罪にしたわけですが、
なんと足の腱を切った上、刺客を送りつけた…ところが、清麻呂さんがそれでもお世話になった宇佐八幡様に
お参りをしようとすると、300頭ものイノさんが現れて輿を担ぎ、周囲を守って無事八幡様まで送り届けました。
足はいつのまにか治り、更にはその後道教も失脚、一族も衰退、天皇もかわり、
清麻呂さんは都に呼び戻されたと言うわけです。
そんなことから、護王神社には「狛犬」ではなく「狛猪」があるのです。
そして「足腰のお守り」として有名で、母も必ずお参りしていました。
母が買ってきてくれたお守りさん、表はこちら「足守り」です。紐が曲がっとりますな。(お守り様、写真とってすみません)
ところで…最近よそ様のブログで知ったのですが、この護王神社のもうひとつの「ご利益」…。
和気清麻呂は、一度失脚して復活しました。あの時代、権力闘争はすごかったですから、
一人の人物の浮き沈みは激しいものがあり、彼のように再び浮上…という人もいたと思いますが、
まぁ彼はそれの象徴と言う感じでしょうか、そのために「復活の象徴」であり、「仕事がうまくいく」の象徴でもある、
というわけで、通称「リストラ除け」「パワハラ(セクハラ・モラハラ)除け」ともいわれるお守りがある…と。
写真お借りしました、こちらです「職難守り」…。なんとカードサイズの横型。
よく職場で首から提げる社員証と言うのがありますが、あの裏側にそっと忍ばせることができるように
こんな形なのだそうです。今の時代、足の守りよりも、こちらのほうが気になりますねぇ。
さてさて、イノシシ柄の着物はそうはないし、あってもなんか「獰猛」…なので、
今年はイノさんは無料素材からお借りしようとおもっています。
そうそう、使うつもりはないのですが、記念にと思って「オリンピックはがき」を2種類、数枚ずつ購入。
ミライトワとソメイティ…だそうですが、いかにも今の時代ですねぇ。
好みを聞かれれば「イマイチ」ですが、まぁ今風ということなら、かわいいんじゃないでしょうか。
100まで生きて「アタシがまだ70のころにねぇ、あったんだよ、東京でおりんぴっくが・・・」などと言いながら、
黄色く変色したこのはがきを見せつつ「一生の間に、東京開催を二度経験した!」なんて、
オソマツな自慢話をできたらいいなぁ!?
もうあっというまに日が過ぎていきますね。
年々早さが増している気がします。
赤目四十八滝、一度行ってみたい所です。
オリンピックも万博も、あのころのようにウキウキする気分が
どうにも起きないのですが…。
まぁやると決まったからには、スネていてもしかたないですしねぇ。
ノリノリにはなりませんが、迎えましょうぞ!