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いや、ほんとにこんなことはしてませんよっ!
第一危ないですがな…。
「針供養」というのは、お裁縫で一年間お世話になった「針」に感謝し、
折れた針を、お豆腐やこんにゃくに刺して供養する…という日です。
「お豆腐やこんにゃく」といった、柔らかいものに刺すのは、
刺しやすいということもあるでしょうが、まずは感謝の気持ちで
苦もなく刺さる「やわらかいもの」にさしてあげて、
その労をねぎらうという意味だそうです。
うちでは母が京都人ですから、12月になると、
「もう針供養の日やなぁ」、とよく言っていました。
お豆腐に刺して…といったことはしませんでしたが、
一年でたまった「折れ針」を処分する日、にしていたと思います。
母は小さな薬の容器に入れていました。
私はもっぱら「フィルムケース」です。最近買わないので大事にしなきゃ。
私は最近手縫いからちと遠ざかっていますので、
使うのは「マチ針」と「ミシン針」ばっかり。
マチ針は、お福ちゃんに着物を着せるとき、
着物のあちこちを、押さえたりひっぱったりするのに使います。
これがまた、私がやること荒っぽいもんで、よく曲がる…。
ミシン針は元々太いし、アレだけ高速の機械に使うものですから、
強度が違いますし、そんなに折れも曲がりもしませんが折れるときはスゴイ!
ボキッといったときには、あわててミシンをとめますが、
糸まで切れて、折れた先がどっかへふっとんでいることも…。
さて、針という道具の歴史もまた古いものです。
当然服飾の歴史とリンクするわけですから当たり前ですが、
「針」を作るには「製鉄」の技術がいります。
つまり「鉄」の歴史ともリンクするわけですね。
あの「ものの○姫」に出てきた「たたら製鉄」、たいへん大掛かりですが、
ついこの前まで、使われていた技術なんですよね。
鉄が日本に入ってきたのは「稲作文化」とセット?であろうといわれています。
つまり縄文のおしまいアタリから弥生の初めくらい。
こういうことは出土品などから考古学者たちが研究しているわけですが、
まだわからないこともいろいろあるようです。
とりあえず、お得意の大雑把でいうなら、まず鉄は「材料」で輸入され、
やがて国内でも「鉱物資源」として掘られるようになりました。
太古の昔、文化の伝播は朝鮮半島が中心ですから、
当然何が始まるのも西のほう…ということで、材料が入り技術が入り、
やがてあちこちに広まる…その「資源」があるところが当然産地になるわけで、
当時国内で多く産出したのが「中国地方」でした。
今でも針の産出一番は「広島」です。
また「たたら」、つまり「ものの○」に出てきた製鉄技術ですが、
これまたカンタンに言いますと、通常の製鉄は「高熱炉」で行います。
これだと「鉄」は不純物が多く、もう一度「精錬」しなければなりません。
しかし「たたら」は低温でずっと処理し続けるため、時間も手間もかかりますが、
不純物のきわめて少ない上質の「鉄」ができます。
この「たたら」でできた鉄は「加工することで、
たいへん丈夫で美しいものとなります。
美術品としても価値の高い日本刀は「たたら」があったればこそ、と言われます。
今日は針のお話なので「鉄」についてはザッとのお話しでオシマイです。
さて、縫い針ですが、お針をなさるかたならどなたもご存知の「みすや針」、
写真は、嫁入りに持ってきた「みすや針」です。
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「三の三」というのは「針の規格」、これ、以前に書いていますが、
「三」が「木綿用」、「四」が絹用、後の数字は針の長さです。
三だから3センチ…ではなく「曲尺」の長さの「一寸」から上の数字、の意味。
今はメートル法ですから、別に長さを覚える必要はありませんが、
三はこのくらいの長さ…と覚えておくと、縫う場所や目的によって
針を換えるときに便利です。
「いい針」というのは、「デキの悪い針」を使ったときに
そのよさがよく分かります。おんなじようなものだと思うのに、
縫ってみると、すべりとか抜けとか全然違うんですね。
有名なみすや針は京都の老舗、なにしろ1600年代からのお店ですし、
皇室、当時は「宮中」ですね、御用達ですから歴史は古いですが、
さてどこから仕入れた鉄、なのかは、私も知りません。
ちなみに「鉄と製鉄、針」のふるさと?「広島」の「針製作技術」は、
長崎伝来だそうです。いずれにしても山陽、大阪、京都…と、
物流は西から東へと流れていったのでしょうね。
それにしてもあんな小さなもの「針の穴」なんてのは「極小」の代名詞、
それをどうやって作っていたのかと、ほんとに不思議に思います。
ちなみに現代は、今回この記事書くのにちょっと調べましたら、
一度に二本作る…、つまり一本の針金の両端を研いで「針先」にし、
真ん中をちょっとつぶして穴をふたつあけ、真ん中から二つに切り離す…です。
機械がやるにしても人間がやるにしても、ものすごい技術だと思います。
手縫いというと「雑巾」しか縫わくなっちゃったとんぼですが、
実はいつもシゴトにはいているズボンのヒザがついに抜けました。
本当は、そうなる前に「手当て」しときゃよかったんですが、ついねぇ。
ミシンでジャカジャカもいいけど、たまにゃ手縫いでツギあててみますか。
まだ穿く気です、お尻もちょっと薄くなってて危ないんだけど…。
お尻のツギあてって、かっこ悪いんだよねぇ…。
第一危ないですがな…。
「針供養」というのは、お裁縫で一年間お世話になった「針」に感謝し、
折れた針を、お豆腐やこんにゃくに刺して供養する…という日です。
「お豆腐やこんにゃく」といった、柔らかいものに刺すのは、
刺しやすいということもあるでしょうが、まずは感謝の気持ちで
苦もなく刺さる「やわらかいもの」にさしてあげて、
その労をねぎらうという意味だそうです。
うちでは母が京都人ですから、12月になると、
「もう針供養の日やなぁ」、とよく言っていました。
お豆腐に刺して…といったことはしませんでしたが、
一年でたまった「折れ針」を処分する日、にしていたと思います。
母は小さな薬の容器に入れていました。
私はもっぱら「フィルムケース」です。最近買わないので大事にしなきゃ。
私は最近手縫いからちと遠ざかっていますので、
使うのは「マチ針」と「ミシン針」ばっかり。
マチ針は、お福ちゃんに着物を着せるとき、
着物のあちこちを、押さえたりひっぱったりするのに使います。
これがまた、私がやること荒っぽいもんで、よく曲がる…。
ミシン針は元々太いし、アレだけ高速の機械に使うものですから、
強度が違いますし、そんなに折れも曲がりもしませんが折れるときはスゴイ!
ボキッといったときには、あわててミシンをとめますが、
糸まで切れて、折れた先がどっかへふっとんでいることも…。
さて、針という道具の歴史もまた古いものです。
当然服飾の歴史とリンクするわけですから当たり前ですが、
「針」を作るには「製鉄」の技術がいります。
つまり「鉄」の歴史ともリンクするわけですね。
あの「ものの○姫」に出てきた「たたら製鉄」、たいへん大掛かりですが、
ついこの前まで、使われていた技術なんですよね。
鉄が日本に入ってきたのは「稲作文化」とセット?であろうといわれています。
つまり縄文のおしまいアタリから弥生の初めくらい。
こういうことは出土品などから考古学者たちが研究しているわけですが、
まだわからないこともいろいろあるようです。
とりあえず、お得意の大雑把でいうなら、まず鉄は「材料」で輸入され、
やがて国内でも「鉱物資源」として掘られるようになりました。
太古の昔、文化の伝播は朝鮮半島が中心ですから、
当然何が始まるのも西のほう…ということで、材料が入り技術が入り、
やがてあちこちに広まる…その「資源」があるところが当然産地になるわけで、
当時国内で多く産出したのが「中国地方」でした。
今でも針の産出一番は「広島」です。
また「たたら」、つまり「ものの○」に出てきた製鉄技術ですが、
これまたカンタンに言いますと、通常の製鉄は「高熱炉」で行います。
これだと「鉄」は不純物が多く、もう一度「精錬」しなければなりません。
しかし「たたら」は低温でずっと処理し続けるため、時間も手間もかかりますが、
不純物のきわめて少ない上質の「鉄」ができます。
この「たたら」でできた鉄は「加工することで、
たいへん丈夫で美しいものとなります。
美術品としても価値の高い日本刀は「たたら」があったればこそ、と言われます。
今日は針のお話なので「鉄」についてはザッとのお話しでオシマイです。
さて、縫い針ですが、お針をなさるかたならどなたもご存知の「みすや針」、
写真は、嫁入りに持ってきた「みすや針」です。

「三の三」というのは「針の規格」、これ、以前に書いていますが、
「三」が「木綿用」、「四」が絹用、後の数字は針の長さです。
三だから3センチ…ではなく「曲尺」の長さの「一寸」から上の数字、の意味。
今はメートル法ですから、別に長さを覚える必要はありませんが、
三はこのくらいの長さ…と覚えておくと、縫う場所や目的によって
針を換えるときに便利です。
「いい針」というのは、「デキの悪い針」を使ったときに
そのよさがよく分かります。おんなじようなものだと思うのに、
縫ってみると、すべりとか抜けとか全然違うんですね。
有名なみすや針は京都の老舗、なにしろ1600年代からのお店ですし、
皇室、当時は「宮中」ですね、御用達ですから歴史は古いですが、
さてどこから仕入れた鉄、なのかは、私も知りません。
ちなみに「鉄と製鉄、針」のふるさと?「広島」の「針製作技術」は、
長崎伝来だそうです。いずれにしても山陽、大阪、京都…と、
物流は西から東へと流れていったのでしょうね。
それにしてもあんな小さなもの「針の穴」なんてのは「極小」の代名詞、
それをどうやって作っていたのかと、ほんとに不思議に思います。
ちなみに現代は、今回この記事書くのにちょっと調べましたら、
一度に二本作る…、つまり一本の針金の両端を研いで「針先」にし、
真ん中をちょっとつぶして穴をふたつあけ、真ん中から二つに切り離す…です。
機械がやるにしても人間がやるにしても、ものすごい技術だと思います。
手縫いというと「雑巾」しか縫わくなっちゃったとんぼですが、
実はいつもシゴトにはいているズボンのヒザがついに抜けました。
本当は、そうなる前に「手当て」しときゃよかったんですが、ついねぇ。
ミシンでジャカジャカもいいけど、たまにゃ手縫いでツギあててみますか。
まだ穿く気です、お尻もちょっと薄くなってて危ないんだけど…。
お尻のツギあてって、かっこ悪いんだよねぇ…。
オカルト漫画の様で怖い・・・
回復基調のご様子何よりです・・・
おいてあるところは少ないですね。
昔は小間物屋さん、手芸屋さんには
必ずあったんですけどね・・・
私はよく四の二を使います。
高いけれど良い針を作っている所が
京都にあると聞くんですが、「みすや針」の
ことでしょうか。
結婚した息子夫婦のところには針がなくて・・・ボタンが落ちたものでさえ、我が家に持ってきます。
世の中変わったなぁ~と思うのですが・・・子どもが幼稚園や学校に通うようになったら、針を持つこともしなきゃならんようになるだろうかと思って見たりの今日この頃ですね。
おっおかると?どこが、だれが!トーフ?
大丈夫メイさんのこと「呪って」なんかいないから!
体調、ご心配ありがとうございます。
まだたまにグラッってのがありますが、
車も乗れるようになりましたし、
腰も湯たんぽでOKです。
陽花様
たぶん「みすや」のことだと思います。
母もずっとこれで、昔は京都に里帰りしたとき
まとめ買いしていたみたいです。
みすや針なら通販ありますよ。
http://yanamiya.shop-pro.jp/
本店は三条です。HPはこちら
http://www.misuyabari.jp/
やっぱり使いやすいですわ。
Tatehiko様
最近は「針仕事」をしなくても、
アイロンでズボンのすそあげができたり、
ホチキスみたいなボタン止め具があったり、
子供のコップ入や給食袋、おまけに雑巾まで、
お金出せばある時代ですからねぇ。
友人は、保育園が「親の手作り」限定で、
おばーちゃん泣き落として作ってもらってました。
まだまだ縫い物をする人もいますけれど、
なんか寂しいなぁと思います。
今度お友達と京都に行く時買いに行きます。