いきなりモノクロ写真ですみません。言いたくはありませんが「過去の私」です。
「いちゅちゅのあたち」でちゅ!(オェッ!)
「あたち」はどうでもよくて、本日のお題はお正月間近シリーズ??「羽子板」。
なにしろこの羽子板のホンモノはすでになく、写真の登場となりました。
これは、おもちゃ屋さんで売っている「板に絵を描いたもの」、
次の写真は「押し絵」のものです、この写真は3年後、8歳で、
さすがに壊すことはあるまいと持つことを許されたようで・・。
モノクロで寂しいので、素材屋「薫風館」様から色つきのものをお借りしました。
そうそう、こんな風に華やかなんですよね。
押し絵の羽子板の方は、着物がホントに重なっているのか
めくってみようとしたり、簪をいじってみたり、
イタズラばっかりしてました。こんな羽子板があったら
私きっと紐をほどいちゃったり、扇子とっちゃったりやってますね。メッ!
さて、羽子板は当然「はねつき」に使われますが今はもう、やっている子供は
見ませんネェ。なんだか寂しいです。
羽子板・はねつきの歴史は室町までさかのぼります。カンタンな説明ですが、
「後崇光院」著されたところの「看聞御記(かんもんおんき)」という日記に
お正月に集まった貴族がこの遊びをしたことが書かれているそうです。
この時は「胡鬼の子(こきのこ)勝負」という名前で出てきます。
「胡鬼の子」とは、私、つまり「とんぼ」のことです。
「胡鬼」の名前の由来は中国にあり、昔、秋の収穫時期を狙って襲ってくる
騎馬民族を「胡の国の鬼」と呼んだそうで、秋になると大群で現れるとんぼを
同じように押し寄せてくる様から「胡鬼の子(虫)」と呼んだそうです。
日本ではとんぼは、子供を刺す蚊を退治してくれる「益虫」としていました。
そこで、はねつきの羽を「とんぼ」に見立てこれを空に打ち上げて飛ばすことで
「とんぼを飛ばし、蚊を食べさせる」と見立てたわけですね。
それで「こきのこ勝負」だったわけです。
羽子板という名前は、道具などの名前がかわっていくといういい例で
「こきのこ」に使われるから「羽のついた、こきをつく板」で「こき板」
ハネコキイタ・・ハコキイタ・・はごいた・・と言うわけですね。
羽子板にたどりつくまで、もっといろいろ呼ばれた流れはありますが、
一番わかりやすいのは、この流れだと思います。
次に「羽」の方、あの黒い玉は「むくろじ」という実の種です。
むくろじは「無患子」と書きます。熟すとちょっとギンナンのような感じ、かな?
昔インドのある国の王が「争いが絶えず作物も実らず、疫病ははやり、
どのようにまつりごとをおこなってよいかわからない、どうしたらよいか」
とお釈迦様にたずねたところ「108個のむくろじの実をつなげて数珠を作り、
常にこれを身につけ、仏の名を唱えれば心鎮まり、煩わしいことも消え、
どのようにすればよいかおのずと道は開ける」と諭したそうです。
日本は古くから仏教が広まっていましたから、このむくろじの実のことも
知っていたと思います。「無患子」、わずらいなく子が育つように・・という
親の思いがこめられた名前、その実をトンボの頭に見立て、これを飛ばして
害虫をはらい、災いをはらう、どこまでも親の思いの詰まったものなのですね。
子供が5歳過ぎまで育つのが難しかった時代、親の思いはいくらこめても
こめすぎるということはなかったのでしょう。
いや、これは今でもかわりませんね。
ところで、はねつき、コマ回し、凧揚げなどは江戸時代の代表的な
子供の遊びですが、さて、かの時代「しゃぼん玉」遊びはあったでしょうか?
せっけん・洗剤のない時代、それはちょっと・・と思うのですが、
あったんですね、これが。江戸の町で「あしのたまぁ~、あしのたまぁ~」と、
売り歩いていました。この「あしの玉」がシャボン玉のことで、
あわ立つ液体は何かというと「むくろじ」の種のまわりにある
わずかな「果肉」部分。これにはサポニンという成分が含まれていて、
よくあわ立つんです。石鹸代わりに使っていた国もあるようです。
今でいうストローは「麦わら」です。私、かすかですが「麦わらストロー」の
記憶があります。ジュースなんかを飲んでました。
この麦わらに、むくろじの実をグズグズ溶かしたものをちょいとつけて
シャボン玉を作ったんですね。
江戸の町にシャボン玉がふわふわと浮いているところを想像すると、
不思議な気がします。
もう「はごいた」はないけれど、お正月は昔の遊びを思い出して
いろはがるたでもしてみますか・・。あ・・うちトランプしかないわ・・。
豪華な押し絵の羽子板が羨ましくて、親にねだったら、それでいいのっ!と即座に却下されたのを覚えています。
拙ブログからLINK張らせていただきました。(^^)
写真の「押し絵羽子板」ではねつきをした記憶が
あります。たぶん、親にだまって持ち出したのだと
思いますが・・。着物を着ていたことはかすかに
覚えています。その頃の私には、押し絵羽子板は
とても重くて、振り回してコケて笑われた・・
というところだけ、覚えてるんです。
浅草の羽子板市、一度行ったことがありますが、
もう一度行ってみたいと思っています。
妹が藤娘。
ところが何を思ったか4つ違いの妹が汐汲みの頬に唾を付けて擦り出し、汐汲みの頬は真っ黒に。
私 唖然。
汚れていたのを綺麗にするつもりだったの????
当然今では妹は知らないと言っています。
そのままの状態の黒い頬紅付きで、飾りが取れて少なくなっていますがまだあります。
私は娘が二人いますが、羽子板は一つ。
八重垣姫です。
お正月飾りですね。
優しいおねえさんだったんですねぇ。
私はずーっと自分のを「汐汲」だと
思っていたのですが、久しぶりの写真を
シゲシゲと眺めたら「道成寺」?
母に確認したら、やっぱりそうでした。
浅草では両親が「連獅子」を買い、
初めてあの「シャンシャンシャン・・」という
手打ちをしてもらいました。
ビニールかかって実家の床の間にあります。
その前はいつも何か荷物がおいてありますが・・。