先日のお菓子は「お多福面」と言う名前です。写真は中のお菓子そのもの。
お菓子をアップで…言われてみれば「お多福」のカオの形ですね。
お多福は「おかめ」とも「おふく」とも呼ばれます。
めでたいものとして、着物の柄や縁起物としても使われます。
関西では、お多福を「おたやん」と言ったりします。母はは鼻ぺちゃの私によく
「おたやんコケても、鼻打たやんって言うねんで、ケガせんでええやろ」と言ってました。
つまり「おたやん」は、オデコやほっぺたのほうがでっぱっているので、転んでも鼻のアタマを打つことはない…
どんだけ引っ込んでんねん!ってはなしですが、母は「愛嬌があるんや、えぇお顔や」とも言ってました。
さて、この「お多福」「おかめ」「おふく」は、同じもの、とされています。
お多福の起源は「アメノウズメノミコト」といわれています。アマテラスオオミカミが、天岩戸に入ってしまわれて、
それをなんとか外に出す手段として、岩戸の前でおもしろおかしく踊ってみせた女神さま。
とは言うものの…もともとは丸顔でぷっくりしてて、愛嬌があって…の、はずだったものが、
時代とともに正反対の「醜女(しこめ)」の代表、あるいは男に逃げられる女とか、
マイナス要因ばかりの女性のこととして使われ方をするようになりました。
なんでそうなったのか…というより、この「お多福・おかめ・おふく」は、顔が丸く、鼻が低く、
頬が丸くぷっくりと出っ張っている…というのが共通の特徴です。そして実は「お面」のこと。
日本には、それこそアメノウズメノミコトの時代から、いわゆる「歌舞音曲」の文化がありました。
時代とともに、能や狂言などが発達し、またいわゆる「祭り」の中での舞や芝居なども、
今に続く歴史を守っています。そういう文化の中で、それぞれ使われたわけです。
といいましても、私、能も狂言も、つい衣装ばかりに眼がいきますので、詳しいことはちょっと調べました。
たとえば狂言は能と違って「面」を使わないのが普通ですが、
老人や醜女、人ではないもの(神とか鬼、獣など)をあらわすために、面を使うのだそうです。
さまざまな芸能の世界で、長い間に容貌はかわらないまま、その使われ方によって、
蔑称とされたり、福を呼ぶものとされたり、お多福さんも忙しいことですね。
とりあえず、今の時代、女性をお多福とかおかめと呼んで見下すことはない…ま、表立っては…。
そして、「良いほう」では、福を呼ぶものとして大切にされています。
こちらは我が家の「白髪のお福さん」。なんせ実家で何十年と飾られ、我が家に来てから、
更に長い時を重ねていますので、もうお顔も汚れてしまって…。ちときれいにしてあげないとです。
お座布団も、グレーにみえますが、元は色鮮やかな紫だったらしいです。うらに僅かに色が残っています。
商売をする家では、福助人形とともによくかざられるものですが、
とくに白髪は「長寿」を表しますから、店が長く繁栄するようにという願掛けもあるわけですね。
そうそう、オカメとひょっとこのペアもよく出てきますね。
こちらは、神楽などでこっけいな踊りを踊り、人をたのしませるもの。
元々かつては「ふくよかな女性」は、魔よけになる、といわれていましたし、
ひょっとこのほうは語源として「火男」、つまりかまどの番をする人、ということから「竈神」といわれたそうです。
諸説ありますが、いずれにしても、当時の人たちにとっては、祭りや祭祀を盛り上げたり、
人を楽しませたり、日ごろの守りを念じたりする身近な存在だったんでしょうね。
あっというまに「節分」もきます。
節分のときは「鬼の面」と「おふく面」が使われます。
鬼は「鬼は外」、おふくさんは「福は内」の象徴といわれています。
いずれにしても、お多福さんの顔って、見ているだけでこっちまでニコニコしたくなります。
美人不美人の基準は、時代時代でどんどんかわるものですが、笑顔はいつの時代もいいものですね。
ゆったり笑顔で、松が取れて日常が戻っても、穏やかに暮らして生きたいものです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
このお写真の白髪のお福さんとっても
優しくていいお顔、本当に見ているだけで
こちらまでほほえみますね。
あけましておめでとうございます。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
母が見つけてきたものですが、今は我が家の玄関で
毎日微笑んでくれています。
ほんとにみるだけでホッとしますね。