51歳 女子・TONCHANの日々

移動しない!移動販売車。
日々の出来事を綴って
毒舌を改め笑顔に
元病院の栄養士・・今は珈琲屋23年目

長い・長い一日

2007-02-27 23:12:02 | Weblog

6:00過ぎにOさん起床し朝風呂へ出かけた。はぁ~昨日明けで余り寝てなかったのにもう起きて行動???なんか看護士さんは逞しい?


私は7:00過ぎに起き、温泉から戻って来たOさんと朝食へ。朝食もシンプルだったが充分。食事だけは満足。8:30チェックアウトし、近くのバス停まで送ってもらいバスに乗りオリーブ園へ。


って・・・・小豆島らしくなくギリシャを真似た建物ばかり・・・個性なく人工的なものばかり。話にならない。即バスに乗り港のある草壁へ移動。ここで散策・お土産等を買った。
Oさんが次に醤油ソフトを食べたいと言うので、余り?全く興味がなかったが醤油ソフトを買いにマルキン醤油さんへ
ここは昔からの醤油屋さんのようで建物の作りも味が染み出ていて唯一いい感じの作りだった。で、醤油ソフトを買い食べてみた。
醤油の味は全くせず案外イケル。美味しい。


さぁー後はこの町・島・・見たいとこがもうないので昨日の船着場・土庄港へバスで移動。昨日は疲れていて気づかなかったが、土庄港の町へ戻るとジョイフルはあるは普通のどこでもあるスーパーはあるはでまた個性がない島。
どこでもここでもお店を作ればいいってもんじゃない。その地域・その地域の特性を生かした商店もなければ日本全国同じになるよ。

お昼に食べるとこをと地元のお店を探したが閉まってたりでない。しょうがないのでくるくる寿司(漁師物語)へ。ここまで来て店の看板に関さば・関アジなんて書かれていたら引くよ。まっでも食べたらネタも大きく新鮮で美味しいわ。やっぱりここは魚介類だけはいいわ。

食後、もう周りたいとこがないので次の目的地へ行く為の大部港へ。またバスで・・・ここのバス、よくまー皆さん活用してるわ。特にお年寄りの足となっていた。大部港(14:25発)から、そーーとういいフェリーで本州・岡山の日生港へ。

ここからは、もう時間がなくなったので電車やバスは使わずタクシーで目的地長島へ。
長島って普通の方は知らないと思う。
ここはハンセン病で隔離されていた島です。この島には二つの施設がありその一つの施設「長島愛生園」へ伺った。

この長島愛生園は元職場の看護部の部長がずっと勤めていた施設です。いつも職場でここの話を聞いていたのでいつかは行こうと思っていたのでこのタイミングで伺った。

先ず、橋を渡ったら直ぐに監視の為か?いまだに24時間警備員さんが常駐

この渡った橋(63年開通・・・それまで無かった)がたった30メートルだが、隔離された方々にはそうとう長い距離だっただろう。逃げてこの海を泳ぎ本州へ戻ろうとしたが波が荒く亡くなった方も多いそうだ。

長島には国立の療養所が二箇所あり先ずは、邑久光明園を通りまた小さい橋を渡りやっと愛生園に着いた。小さい島かと思っていたが思っていた以上に広い島だった。が、この島に多い時は2000人は居たと言うから・・・

愛生園では、歴史館を見学させて頂いた。

私達二人、一つ・一つの展示物にクギ付けになるほど、そうとうショックをうけるコトばかりだった。これまで聞いていた話は島に隔離され家族と縁を切り戸籍を捨て、子供は作れず・・・って程度しかしらなかった。

実際は、収容者専用(職員とは別)の桟橋から上陸させられ、現金・荷物は取り上られクレゾールの消毒風呂に入れさせられ、裸の写真を撮られたそうだ。そして、この島から逃亡しようとしたら監房に入れさせられた。ほんの少し前の話だが現実日本でされていたコトです。

北朝鮮と変わらないことをしてきている。この監房・・・施設が出来、後々できたものではなく開園と同時に出来ているそして懲戒権は園長にあり裁判を行って入るとかではない

そうお金を取り上げられ生活出来ないと思うと思うが、これがまた凄いこの園独自のお金がある。これしかないから島から抜け出しても生活出来ない

そして普段の生活では、結婚し子供は出来ないように手術し既婚者二組で6畳一間が与えられる一人1,5畳しかない

・・・そんな事が山に様にあり、私達は見ていて胸があつくなり涙が出そうになった。今回は時間がないので17:00に切り上げ帰路へ着いたが、近いうちに今度は部長も一緒に連れもう一度訪問し同じ日本人が行って来た差別・偏見・入所者さんの苦労をもっと知りたいと思った。身に染む日であった。

タクシーで岡山駅に行き、岡山からのぞみに乗り小倉へ。小倉でOさんと別れ、ソニックに乗り別府へ・・・・と中津までは快調だった。

中津を過ぎ、信号待ちですとソニックが停まったそんな分けないなと思ったら案の定配電線の故障で修理中と言う。ですので、別府から代行バスを用意してますというアナウンスが流れた20:30

代行がくれば、まーそこそこには帰れるなと思っていたがどんどん時間が流れるだけ・・・もう30分お待ち下さいとアナウンスがあったが、30分でなおるわけないなと一人思った。

22:00今頃、やっとアナウンスがあり修理が間に合わないので別府から代行バスを御用意致しました。22:30か35分にはバスが到着しますと言う。

大体20:30にバスを用意したんやないんな

2・3本切れそうだった。そして、バスが到着したのは22:55分。速攻バスに乗った。これで帰れると思った瞬間このバスは、各駅に停まりますというソニックで別府まで後20分ってとこまで来てて、2時間半待ち挙句の果てに各駅停車

大体、バスがくるまでの時間、地域(駅)ごとに人を振り分けるとか退所したらよかったのにJR九州は対応悪すぎ。

バスで12:15分に別府駅に着いたそれから車に乗り換え一時間かからず帰宅。はぁーなんなん。そーーーとう帰りは時間がかかった。疲れた。