ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂信子(かつら のぶこ)
和服を緩やかに着なおしました。だって、これからあの人と一緒に蛍狩りに行くんですもの。
おおらかに散文に直せば、こうなると思った。
で、まあ、投稿しようと思ったのだが、何かが引っかかる。
その何かが分からなかった。
夕顔や女子(をなご)の肌の見ゆる時 と並べて面白いので、それで良いと思った。
でも、気になる。何だろう?そう思った。
千代女は、明るく色っぽい。信子の句は、色っぽさに気品がある。
今日、昼寝をしていたら、急に何が分からないのかに気づいた。
そうだ。着物を緩やかに着こなしている女性を知らないからだ。
目にする着物を上げてみる。
花嫁衣裳、結婚式に招かれた女性の着物姿(ここ20年ほどめっきりと減ったが。)、成人式に向かう乙女(まるで、昔のキャバレーのホステスさんような化粧だ。)、卒業式に行くと思われる乙女(うん、袴を穿いたハイカラさん)
この女性たちの着付けは、キャバ嬢仕様だとしても、きっちりとしている。
後は、そう、花火で見かける浴衣姿。そして、浴衣姿すらもきっちりとしている。(まあ、着くづれて、だらしなくなっていることもありますが。)
着物を緩やかに着こなしているいる人を見たことがないために、この句が理解できないのだということに気がついた。着物を緩やかに着こなす女性とデートしたいものだ。まあ、私よりかなりのお姉さんだろうけれど。
話は変わるが、私が小学1年生の頃(昭和30年代、オールウェイズの世界だ)、運動会の入場行進の練習をさせられたことがある。私は、緊張のため、体がカチコチになっていた。すると担任の先生から「右足を踏み出す時には、左手を振るのよ。左足を出す時には、右手。分かった?右足を踏み出したときに、右手を前に出したら、まるでロボットみたいじゃないの。」と優しく笑いながら指導された。
私も照れ笑いをしながら、歩き方を直した記憶だある。
年を取ったある日、「右足を踏みだしたときに、左手を振るようになったのは、明治になってからであることを知った。(小学校の体操の教練からだという。)」何故そうなったのかと考えたら、着ているものの違いだということに気がついた。
“ロボットみたい”と仰った先生は、たぶん、昭和一桁世代だ。その世代でも、旧来の日本人の歩き方を忘れている。きっと、日舞や能などを見て学ばなくては、旧来の所作が分からなくなってしまうのだろう。
「緩やかに着物を着こなす女性」、そしてその所作も希少価値になってしまうのだろう。