くまきち

山と旅と家族が大事。
でも激しい物欲が理性と財布のタガを飛ばす
最近は自転車も乗ってる

北アルプスの遭難について

2008-01-05 12:10:31 | 山と旅
●北ア雪崩 「安全地帯」で遭難 山岳関係者ら困惑「対策難しい」
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20080104/CK2008010402076796.html





 考えさせられるなあ。


 こういう事故があった後だと、「北アルプスに行ってくる」とか言うと、全員総出で止められそうだ。


 そこにじっとしているだけで、いつか命が尽きてしまう場所に行くのだから、そもそも安全な場所は無い。
 あるのは、「ある場所よりも危険の少ない場所」だけ。 その判断には誰の保証もついていない。

 常に物事に対して、誰かの保証を求めるような人間は山に入ってはいけない。




 遭難のニュースを聞くと、「あんな事をするからだ。遭難して当然だ。」と言われるケースと、逆に今回のように「無理もない」というケースがある。
 そのケースを分ける要素は何だろうか。

 ひとつは個人の主観。 もうひとつはマスコミ報道。

 個人の主観がはっきりとした基準に基づくものであれば、報道が「無理もない」と言っても「いや、あれは登山者が愚かだ」となることもあるし、逆もある。
 個人の基準はそれこそ人によってまちまちだ。


 はっきりとした判断基準を自分の中に持たない人はどうだろうか。
 マスコミの報道にのみ基づくことになるんじゃないだろうか。

 そうすると、二つのケースを分けるのはマスコミだ。
 これは実に恐ろしい。
 当人達がどう言おうが、どちらにでも使い分けられてしまう。



 遭難に限らず、あらゆる事件報道を見ていると、本当に恐ろしいと感じることがある。
 物事を善の面で切ったり、悪の面で切ったり、自由にできる。 また、切りもしないこともできる。
 物事の善悪をコントロールできるのだから、まるで「神」だ。

 香川の祖母姉妹殺害事件は記憶に新しいが、犯人逮捕に至るまでは父親が犯人と思わせる報道をし、犯人が捕まれば、同時期に撮影したテープを再編集して、悲しむ父親を作る。 編集で自由自在である。
 ぞっとする。


 ただ、そのマスコミに自分たちの欲望の代理行為をさせているのが視聴者/読者であることも確かだ。
 これもまた恐ろしいことだ。




 などと難しいことは考えず、山に行こう <オチがねぇなあ

九重の大吊橋

2008-01-05 00:18:33 | 山と旅
 午前中は心療内科。
 もうちょっとかかるみたい。
 今月復職する心づもりでいたんだけど。


 天気が良かったので、思いつきで九重の大吊橋に行ってきた。
 まだ行ったこと無かったのだ。



 九重ICから向かう途中、展望の良い場所があったので、写真を撮った。
 くじゅう山系がきれいに見えた。 でも、逆光だから写真はいまいち。




 大吊橋は、思ったよりも人が多かった。
 でも、多い時期に比べたら少ないんだろうなあ。




 帰りは長者原、牧ノ戸を経由して、長湯から帰った。
 途中の牧ノ戸峠で子供たちを遊ばせた。 喜んでた。