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歴史の道を歩く「岩村田」その2

2018年10月02日 | 歴史の道/中山道

2018/10/1 晴れ
江戸時代以前の小田井道を歩いた。
岩村田周辺には11寺があったとされる。
黒岩城に対し、上の城のあたりは城主交代後の隠居のための城(住居)とされている

常木用水に沿った道路に入る。
入り口のあたりは小田井道ではなく新しい道で、小田井道は団地の中央付近のようです。
ポプラの高い木が王城公園。

<今回のコースMap>
「相生町南」信号から、猿久保に向かう場所は八日町といい市がたったとされる。
猿久保は、中央図書館から北中込駅にかけ長土呂に並ぶ大集落があったとされる。
長聖中学寮のあたりは武家屋敷であったとされる。西念寺は柳堂あたりから合祀され現在位置に移設された。人家は、この辺りに集中し、西側は疎らだったようである。

この道路が王城の堀を埋め立てたもの。
堀は約5m幅で深さは、幅の1~1.2倍はあったとされる。
左は黒岩城跡。

黒岩城(左)の下側

この道路が黒岩城の二郭で東西の堀。

信濃平と呼ばれた穀倉地帯。
羽毛平とも呼ばれ、水はけが良く稲作に適した土地であったらしい。
龍雲寺はかつてこのあたりにあったとされる。現在は家が建つ住宅。

常木に沿った小田井道

ヒカリゴケの洞窟
ヒカリゴケは、湿度、日光の遮光や温度などの条件に恵まれ、氷河期からの生き残ってきた生物である。
北の丸公園のものは、ここから移植されたものだと伝わる。
この近くには、希少植物の「マルノウマノスズクサ」もあるらしい。



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