公開講座のメモです。
江戸時代の岩村田宿は江戸から数えて22番目の宿場町。内藤氏一万六千石の城下町であった。甲州街道、小諸までの街道、上州下仁田までの街道の分岐点として、物資の輸送上の基点としてさかえてきた。
それでは、城下町というがどこに城があったのであろう。新城というのが、現在の上の城、詳しくいうと、跡地は現在の岩村田小学校のあたりに「藤ヶ城」が築城され、明治以後は、岩村田県の役所庁舎、そ . . . 本文を読む
公開講座のメモです。
情報や荷物を伝達方式でで輸送する伝馬制度。この伝達制度の中継地が宿場となり、情報や荷物の受け継ぎ、旅人の休息や宿泊を提供する町として形成されてきた。荷物や情報の輸送を主なる仕事としてきたのが「問屋」、休息の場や宿泊場所を提供するのが「本陣」「脇本陣」「旅籠」であった。このうち、本陣、脇本陣が大名、久下、幕府の使者が利用し、一般の旅人が旅籠を使った。
宿場の利用料金は、幕府 . . . 本文を読む