2019/5/4(土)晴れ
富士見城址(小諸の西部の飯綱山)
富士見城の築城は、1500年代前半ごろだといわれています。
大井氏が滋野氏へのけん制、対抗のために設けられたとする説と、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した際に拠点である鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したという説もあります。
いずれも、なるほど思います。
その後は北条、上杉、徳川氏に割って入った真田氏にとっても重要拠点だったということは、納得のいくところです。
武田氏滅亡後、徳川氏・上杉氏・北条氏に加え、真田氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」の際には徳川家康の家臣である柴田康忠が一時居城としました。
更に下って、仙石秀久が小諸城主となってからも小諸城の支城として存続しました。
そして、 家康が1615(慶長20 ) 年の一国一城の令で廃城となりました。
ここは、小諸市街を一望でき、富士山も見える場所としてとても魅力的な場所です。下から歩いても20分程度としても、ちょっとした山歩きのトレーニングに最適ですよ。
五の廓から、浅間山方向を望む。
案内看板の俯瞰図より
堀切を渡り、主郭に通じる橋。
主郭から小諸市街を望む。