今年もあとわずか、この1年ごくごく視野を狭く良し悪し起こった事をランキングしてみました。
①次女から結婚したいとの報告を受ける。
12/25大安に次女から会える?と連絡があったので夕食を共にしました。食事もそろそろと言う時に話しがありました。お相手は勤務先とは違う病院の理学療法士との事、付き合っている方はいるとは思っていましたがまだまだ先の話しだと思っていたので驚きました。長女に続きお相手は長男との事でした。
②長女が10月に結婚。
10年間付き合っていたお相手との生活が始まりました。こちらは反対にいつ結婚するんだろうと思っていたのでビックリ感はあまりありませんでした。
この2人が新しい生活を始めました。本当に月日が経つのは早いものです。
③1980年より休まずハウスでいちご作りしてきたが療養のため作付けを断念。
体を騙し騙し仕事をしてきましたが今年は入院、手術のためこのいちごのシーズン一粒もいちごに触れられない事になります。
④四月に脊柱管狭窄症、椎弓切除術を受ける。
当初はいちごのシーズンが終わり片付けて次の育苗準備をして6月15日に手術予定でしたが長女の看護師が主治医が早めた方が良いと言っていたとの事で2ヶ月早めてもらいました。この頃50mも歩けなくなり立っているのも3分位が限界になり手術を早めました。2月のMRIで狭窄は3箇所特に腰椎4番目と5番目の間は神経の束が見えないと言われました。この時点で排尿排便障害は無いのか尋ねられました。
⑤初めての全身麻酔
手術前日長女の勤めている鴨川市の亀田総合病院に入院しました。いろいろ事務手続きをしてPCR検査陰性を確認して病棟、病室に移動、一週間位個室の方が良いと思うよと言われていたので子に従いました。手術前夜看護師さんから諸々病棟の説明、薬剤師さんから術後点滴の痛み止めを自分で落としていく方法、手術室看護師さんから麻酔と全体の手術の流れの説明、最後に執刀医、主治医の先生から手術の説明、各種書類へのサインをし背中の明日切るところにマジックのようなもので印を書かれました。その時の先生は手術は家に例えればリホームですからとの言葉が頭に残ってます。その時は手術の不安よりこれで楽になると安心感のほうが勝りました。
翌日夜勤明けの長女が病室に来て担当の看護師さんとストレッチャーで手術室まで運ばれました。病院の白い天井ばかり目にして手術室に入った瞬間寒いと感じました。そしてそのまま固い手術の台に看護師さん4人で持ち上げてくれ移動しました。名前の生年月日を告げ看護師さんの処置が始まりました。右手の甲に点滴の太い針、注射で余り痛みは感じた事はありませんでしたがこの時は結構痛く感じました。麻酔の先生の挨拶がありじゃ麻酔の薬入れていきますね。すぐに意識が無くなり4時間半後病室で看護師さんの呼び掛けに気が付きました。長女と次女が見守ってくれてました。
背中の傷跡には分厚いガーゼなど?やはり仰向けには寝られませんでした。そして抗生剤と痛み止めの点滴、背中にはドレーンの管、尿道カテーテル、足には血栓予防のフットポンプがついていました。気がついた時初めに足首を動かしてみて安心した事を覚えてます。そし16日間の入院生活を過ごしました。
⑥長女特定看護師の認定受ける
通常の業務を勤めながら約2年勉強し資格を取りました。医師の指示がなくても自分の判断でできる医療行為が増えるそうです。来年は看護学校の講師としての時間が増えるとの事、自身の健康に最大限気を使ってもらいたいものです。次女は普通の看護師としての勤務で充分と言ってます。
⑦前立腺がん疑惑晴れる
術後4日位自力排尿が出来ず、最後の方で尿道をエコーで見たら前立腺に影がありその後MRIでも影を確認、腫瘍マーカーは範囲内でも限りなくグレーゾーンとの事で半年後の11月にMRIをとり今月結果を聞きに行ったら影(炎症)が消えているから問題ないでしょうと医師から言われました。長女に話したら尿道カテーテルで傷つけられたんじやないの?と言われました。確かにあれは手術の傷跡より挿入も抜く時も憂鬱で1日4回位やっていてその頃まだオムツだったので出血していたのがわかりました。
⑧散歩
退院後リハビリがてら家の周りを歩いてました。いつも車で通り過ぎて公道を歩く事はほとんどありませんでした。歩いて感じる事はとにかく人が少なくなって来た事です。近くの小学校も統廃合、地元の祭の保存会も解散、まぁうちもその例外では無いのですがいろいろ感じるところがあります。あと猪の突進に遭遇した時は焦りました。20m位手前でUターンしてくれ優しい猪でした。車で鹿やきょん猪、猿には遭遇するんですけど車に乗っていれば怖く無いですけど流石に猪の突進にはビックリしました。
⑨薄っぺら
内科に3ヶ月に一回通っているんですけど薄っぺらな膵臓と言われ整形外科では腰椎の椎間板が薄っぺらと言われてしまいました。脳みそは画像を撮らなくても自覚してましたが。
⑩来年復帰に向かって
身体が資本なのはどの職業でも同じですが農業における復帰はなかなか時間がかかりそうです。今の状態は痛みは無いですが足首から下の感覚が硬くなりとても自分の足のような気がしません。この感覚がおかしいともうハウスの屋根のパイプなんか怖くて上がらないような気がします。せいぜい上がっても谷板までそれも慎重に、今まで普通にできていた事が出来なくなりました。でもやっぱりゆっくりでも良いから仕事がしたいのです。仕事が出来ない苦しみを充分味わいました。来年は3月に不安は尽きませんがいちごの親株を植えて少しずつ進めていきたいと思ってます。 来年はカテゴリ的には前期高齢者そして独居老人人生あっという間です。