昼下がり。
↓本人が書いた遺書も、父上(松太郎)宛て。
この便箋、「わかもと」のネーム入り
盆飾りの前でポツンと母スエ。
夜の来訪者応対までの、のんびりした合間にトシオの実父 恒治郎の遺品を開いてみました。
数日前、姉が偶然仏壇の奥で発見。
そのような物があるとは誰一人知りませんでした。
ここで一旦、系図を整理。
恒治郎からみると、(父)松太郎→恒治郎 →(息子)トシオ→(孫)俺。
↓戦死の報告は上官から父(松太郎) 宛で届いたようです。
↓本人が書いた遺書も、父上(松太郎)宛て。
心残りは妻や子供(トシオ)だろうに。
「拝啓 寒さ厳しい折...#&$zz」
冒頭は読めますが、後は難しい! 読めません。
この便箋、「わかもと」のネーム入り
戦死が5月なので、常に死を覚悟し遺書を書き残し、それを持って転戦していた事が分かります。
↑戦地 爆撃跡の写真も同封されてたようです
↑この人が恒治郎さん? だろうね。
「戦争へ行く前日、一緒に風呂入った覚えがある」とトシオさんが生前言ってた。
トシオ3歳の記憶。
家を建て替え、仏壇を新たにしても、この手紙と写真だけはず〜っと持っていたんだなぁ。顔さえ覚えてない亡き父のこの手紙を。80年ずっと。
シれ〜っとした父でしたが、父にも悲しみ寂しさの歴史があったんだ。
盆飾りの前でポツンと母スエ。
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