〈老父母〉トシオ と スエ

老父母の画像〈家族の記録〉

豪雨で(少年流される)

2018-09-24 22:16:06 | 日記
1974年、豪雨の翌々日、まだ濁流続く川に 少年が流されました。
ま、この少年、、私なんですが...

豪雨で小学校は休校。道路も各所で片側通行、水道も止まり、給水車が来てました。
先生達の自宅も被害に遭っている筈です。

やる事の無い私は、「七夕の笹を捨てに行こ。」と川へ向かいました。

短冊つけたままの笹、当時は普通に川へ捨てていたんです。

堤防へ着き、笹を投げ捨てたのですが、水の流れまで僅かに届きませんでした。

そこは濁流にエグられ土肌が覗くような場所なのです。
笹の幹のほうが土に引っかかっていました。

「もうちょっとだ」と、片足伸ばしてチョンと押した瞬間、ズルズルっと川に滑り落ちてしまったのです。

豪雨の2日後、水の勢いはやや落ち着いてきているものの自力で這い上がれる程穏やかな水流ではありません。濁流がゴーゴー唸ってます。

かろうじて、むき出しになっていた木の根を掴み、流されないように踏ん張りました。

その時の事を今でもはっきり覚えてます。
「下流に浅瀬がある筈だから流れに任せてみようかな」
「顔を水に付けて泳ごう。でもな、水汚いしヤダなぁ」
意外に冷静でした。
「ん? もしかして俺、死んじゃう?」とか。

続く。
(そんなにたいした話ではありませんけど)


↓ 今年は雨が多い。実家近くの山。



....






豪雨の思い出

2018-09-12 23:50:47 | 日記
毎年どこかで豪雨被害があります。
私の地域でも1974年7月、大変な被害にあいました。

土砂崩れ、道路寸断、川が氾濫、橋が流され、田園風景も一変した出来事でした。

夜通し激しく降る雨の中、大人達は懐中電灯を手に、慌ただしく家を出たり入ったりしてました。

農作物の被害を最小限に抑えようとしてたのでしょうが、夜遅くにはもう諦めた顔をしていたのを覚えています。

小学2年だった私は、どこかウキウキなんですが、さすがに翌朝、窓から見た光景で「大変な事が起きた」と感じました。

雨は上がり、太陽がキラキラと眩しいのですが、いつもの緑色の風景ではありません。

川から田畑に土砂が流入、稲や農作物は流され、水が引いた後には、海の砂浜のように何も無い土地になっていました。

子供ながらに「これからどうなるんだろ」と焦っていたのですが、すでにO型の父トシオはサバサバしてます。

「おい、釣り行こうぜ」と、明るく誘います。

父と兄と私、流された橋の近く、濁流の川へと、釣りに出掛けました。

ゴーゴーと唸る川の中、適当に糸を垂らすだけなんですが、これが釣れる釣れる。

小さな魚からフナ、ウナギ、上流の池から流れてきたと思われる錦鯉までバケツいっぱい。

大変な被害だぞって事は子供でも想像出来たんですが、父はいつも深刻には考えない人でした


↓ 豪雨を話すトシオ