〈老父母〉トシオ と スエ

老父母の画像〈家族の記録〉

豪雨 その後 釣り堀

2018-10-23 22:13:11 | 日記
客離れは厳しく、話合いの末、父は経営から離れる事を決断しました。

(農業兼業ですが)父は、無職となります。

さぁ次はどうする?

父は釣りが好きでした。
世間は釣り堀ブームでした。

河川の堤防再建に大量の土が欲しいと、行政からの依頼もありました。

崩壊した畑から土を採取すれば堀が出来ます。
そこに水を流せば池になります。

その池で「鯉の釣り堀をやろう!」となりました。

子供心に、〈それ大丈夫?〉って心配したのを覚えています。

それでもやっちゃう所が父の博打打ち的な性格。

整備された大きな池2つに、夜間営業用ナイター設備も加え、「フィッシングセンター」としてオープンしたのでした。

ブームもあり、最初の数年は客足が途絶える事なく続いたのですが....。 続く。

↓ 完成品



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豪雨 その後のトシオ

2018-10-21 23:49:36 | 日記
大変な被害を出した豪雨。
その当時の父は、知り合いと共同で、バーベキューハウスや旅館業、貸別荘を経営してました。

見晴らしの良い山の中腹、夜景が素晴らしい場所でした。最初は小さな売店からスタート。

それが当時のジンギスカンブームもあり、店はどんどん大きくなっていきました。

宴会や忘年会が増え、大浴場も備えた旅館へと発展、バンガローハウスやコテージもありました。

従業員も20人以上は居たと思います。
儲かっていたんでしょう、自宅には常に新しい電化製品、新車がありました。

そんな昇り調子の旅館だったのですが、激しい豪雨で近くの道が土砂崩れ、道路寸断。

そのおかげで、お客様が激減。
ジンギスカンブームの終焉もあり、経営は瞬く間に傾いていったのでした。

続く。

↓ 父の趣味。ニクロム線を使い、切り文字を作り、浮き上がらせます。




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豪雨 助けられた少年

2018-10-08 23:00:38 | 日記
木の根を掴み、バタ足で濁流から持ちこたえていた少年(私)。

時間にして10〜15分程だろうか、そろそろ疲れてきたなぁ、て思ったその時、父が「おい!」と助けに来てくれました。

水際から見上げた父の頼もしい顔、今もしっかりと覚えています。

「 掴まれ!」
力強い父の手で引き上げられ、少年は九死に一生を得たのでした。

泥水を飲んだり溺れたりした訳ではないので、引き上げられた後はすぐに着替え、何事もなかったように遊んでいたと思います。


先日、何十年振りかでその話を父に聞いてみました。
「あの時ってさ、どうだっけ?」
「おぉ、あの時はな....」

あの日、
父は近隣の人達と壊れた橋に座り、世間話をしていたらしく、私が笹を持って歩くのを遠くから見掛けたそうです。

30分程経っても、戻って来る姿を見せない息子を心配し、やっと探し始めてくれました。

そして堤防から落ちた息子を発見した、と。

おいおい、もっと早く助け来てよ! と話を聞いた私はツッコミを入れたのですが、それでもあの時の私にとって、父は「救世主」又は「ヒーロー」だったんでしょうね。

「はい、ありがとうございました」と、45年振りのお礼を言いました。

↓↓ 私のヒーロー





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