〈老父母〉トシオ と スエ

老父母の画像〈家族の記録〉

トシオ初盆 夜

2021-08-18 21:40:00 | 日記
夜はたくさんの人が線香上げに来てくれました。

スズが母のそばに寄ります

私の所にも来てくれます。

↑手前はユイト。
従兄弟が集まって楽しいんでしょう。子供は皆はしゃいでます。


↓来訪者が途切れた合間にテーブル下に潜って遊ぶ子供達。


↓ひ孫に囲まれたスエ。

ひ孫達はそれぞれ自宅帰って行くのですが、必ず「おばぁちゃん帰るね、おやすみなさい」と声を掛けてから帰路に着きます。

いい孫.ひ孫に囲まれ、ありがたいねぇスエさん

全員で。


ありがたいねぇ




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トシオ初盆(恒次郎の遺留品)

2021-08-15 02:19:35 | 日記
昼下がり。
夜の来訪者応対までの、のんびりした合間にトシオの実父 恒治郎の遺品を開いてみました。

数日前、姉が偶然仏壇の奥で発見。
そのような物があるとは誰一人知りませんでした。

ここで一旦、系図を整理。
恒治郎からみると、(父)松太郎→恒治郎 →(息子)トシオ→(孫)俺。


↓戦死の報告は上官から父(松太郎) 宛で届いたようです。

↓本人が書いた遺書も、父上(松太郎)宛て。
心残りは妻や子供(トシオ)だろうに。
 
「拝啓 寒さ厳しい折...#&$zz
冒頭は読めますが、後は難しい! 読めません。


この便箋、「わかもと」のネーム入り


戦死が5月なので、常に死を覚悟し遺書を書き残し、それを持って転戦していた事が分かります。



↑戦地 爆撃跡の写真も同封されてたようです

↑この人が恒治郎さん? だろうね。



「戦争へ行く前日、一緒に風呂入った覚えがある」とトシオさんが生前言ってた。
トシオ3歳の記憶。

家を建て替え、仏壇を新たにしても、この手紙と写真だけはず〜っと持っていたんだなぁ。顔さえ覚えてない亡き父のこの手紙を。80年ずっと。
シれ〜っとした父でしたが、父にも悲しみ寂しさの歴史があったんだ。





盆飾りの前でポツンと母スエ。



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トシオの初盆

2021-08-10 19:14:09 | 日記
トシオの初盆。新暦でのお盆です。

父の兄弟.子供.孫達が集まり、お盆を迎えます。

朝、お寺でお経(寺施餓鬼 テラセガキというらしい)あげた後、近くのお墓へみんなで移動。





この日はカンカン照り。暑いです。

↓母はお寺行く前から調子が少し悪そう。
暑いから「墓へは行かない。本堂に居る」と、ひとりお寺に残ります。


↓このデッカイ石碑は、ウチのおじいちゃん(トシオの実父)恒治郎の。

花を供える姉。
線香を上げます。

(恒治郎 S13.5/8 日中戦争で戦死。
 トシオ5歳の時)
 



↓挨拶をして一旦お寺を後にする姉。


(私は行けませんでしたが、2日後再びみんなでお寺に来ます)


この後、自宅へ戻り本日2度めのお経(家施餓鬼 ウチセガキ)を上げました。


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