〈老父母〉トシオ と スエ

老父母の画像〈家族の記録〉

豪雨 その後 助け舟

2019-01-25 22:31:03 | 日記

当時姉は隣の市に住んでいました。
19で家を飛び出し結婚、子供3人の5人家族。

私より5つ上。気が強く、話し掛けるのも怖い存在でしたが、結婚後はとても優しく頼れる姉に変わっていました。

女性ってのは、男 (私からすると義兄)で変わるもんなんだ、と感じました。


母の借金事情を私が知ったのも姉からです。
これからどうしていくか模索してくれたのも姉と義兄です。

そして結局、助け舟を出してくれたのは義兄方の親戚でした。

その人が担保保証人になり銀行で借りられる事になったのです。

返済計画として、
兄は大学を休学し、月5万円。
私は高校を卒業し、月5万円。
姉家族が実家に同居して家賃分5万円。
合わせて月々15万円を返済していく事になりました。


暗い窮屈な時代でしたが、姉夫婦のおかげで重苦しい雲が晴れていくようでした。



↓字体に色付けしたら浮き書の完成。


姪の旦那さんが撮影。キレイに撮れてます。


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豪雨 その後 バレた

2019-01-09 15:38:26 | 日記
母の借金400万。利子だけで月20万。

どうやって返してたの?と35年前の事を母に聞いてみました。

「必死だったからねぇあの頃は。商品自体は良かったからそれが売れたり、他にも色々仕事したねぇ」

当時、常に辛そうな顔の母が居ました。

家族の誰にも言えず、母がどれだけ必死だったんだろうと考えると切なくなります。

(母の自業自得なんですけども)

利子だけ払い続けている、そんな状態が何年か続いたある時、返済の振込時間に遅れてしまったそうです。

すると翌日、取立てが自宅に来てしまい、そこで初めて父にバレる事となりました。

父(トシオ) は怒り狂ったでしょ?
「何も言わなんだねぇ。お父さんは怒りもしなかった....」

そういえば、中学時代の私や高校生だった姉も、悪さがバレた時、迎えに来てくれた父は何も言いませんでした。思いっきり怒鳴られるだろうって時ほど何も無かったように振舞う父でした。


その後すぐに父は農協に借入れを申し込みましたが、既に借金もあります。追加は認められませんでした。

私達兄弟も母方の親戚へお願いに行きましたが、無理でした。

畳の上へ兄弟3人座り、姉が中心となり事情を説明、頭を下げたのを覚えています。

当時は薄情な人達だと思いましたが、今考えれば貸さないのも当然。
その叔父は10年後、私のヘアサロンへ何度も足を運んでくれました。遠方なのに大変だったと思います。
〈次回 : 助け舟〉


↓ 風邪ぎみのトシオ



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