南部吟遊詩人の写真館

このサイトは2023年3月、容量の不足により更新を断念しました。以後は「南部吟遊詩人の写真館2」に続きます。

陸前高田は復興したのか?

2022年04月23日 15時37分54秒 | 沿岸地域
私の住んでいる場所から陸前高田市に行くには車で2時間ほど。

山の中を通っていきます。


気仙川が途中で現れ、これに沿って下ると陸前高田市に行きます。


川の流れがとっても澄んでいます。


なんて美しい川なのでしょう。


陸前高田に入りました。


早速、こういう碑があります。

悲しいです。あの記憶を思い出すのは。
しかし、この碑には決意があります。
人の強さを感じることができます。

三陸鉄道の駅です。


「もと」と言った方がいいでしょうか。
今では「BRT」と言ってバスの路線なのです。

この辺は鉄道は引かないことにしたみたいです。

時刻表です。

一時間に一本くらいです。

この駅の周りだけ、バス専用。


あとは一般道を走っています。


久々に来た陸前高田ですが、更地がまだまだ多い気がします。


重機も目立ちますし、復興は半ばなんでしょうか。




一本松の近くに来ました。

以前とだいぶ様子が違います。
以前の記事(4年前)にリンク

新しい公園が完成していました。


すんごい大きな建物です。


左側が「伝承館」、右側が「道の駅」になります。


周辺はこんな感じです。

松原の再建も進む模様。
そして一本松のあたりも迷路のような工事現場の仕切りがなくっているようです。

こいつあ、ちょっとウキウキします。

(不謹慎)

だって、こんなに新しい建物なんですよ!!!!(*^▽^*)


まずは「伝承館」の方に入ってみましょう。


無料です。しかも中は一部撮影OKだそうです。

実にありがたい。

これが津波でやられた橋の鉄骨。

まるで飴細工のように鋼鉄が曲がる。
津波、本当に恐ろしや…(´・ω・`)

めちゃめちゃになった消防車。

こんなのがあちこち浮いて漂っていたんだから、まさに地獄絵図。

その他、様々な展示品や映像が見られます。

おススメは復興に携わった方たちの当時のことを紹介するVTR。
人々の熱い思いに感動します。ぜひ、みてください。

一方の道の駅ですが、


こちら、とても新しい施設になっておりまして、レストランが2件入っています。


おススメは海産物。

「陸前高田丼」1400円

いくらとカキとワカメ。控えめに言って最高です。

さて、外に出てみましょう。

これは…、広い!!!

なんて見晴らしのよさ。

さまざまな思いにふけってしまいますな。

建物を振り返ると、こんな感じです。

左右の手前にあるのは献花台です。

右手をみると、はるか向こうに「気仙中」や「一本松」が見えます。


気仙川の水門です。

あとで、あっちにも行ってみます。

左手をみると、市内がはるかに望めます。


高くなっている場所に来ました。

献花台があります。

松の植樹がされています。

広田湾が見えますし、下の方にも降りられるようです。

この向こうから津波が来たわけです。


この松が育つのは何十年後なのでしょう。


それでは、一本松の方に歩いていきましょう。

歩道も整備されて、緩やかな散歩を楽しむことができます。


かつては↑あのへんもバリケードだらけでした。

近づいてきました。ユースホステルも見えます。


一本松です。久しぶりです。


この一本松もすでに命を失い、復元されたものです。


この周辺です。

避難路としては、とても長いです。
地震来てほしくないです。

震災遺構です。

下宿定住促進住宅は何度も見ました。
4階部分まで津波に打ち抜かれ無残な姿が印象的でした。

この辺、三陸ジオパークでもあります。

ゆっくり探訪したいものです。

ユースホステルです。

津波で建物の一階部分がもって行かれて崩れています。

今もこんな状態です。


裏側です。

以前はこの辺まで立ち入れませんでした。

ちなみに、もっと言えば建物まで行くこともできます。

(フェンスも仕切りもないから)
ただ、危険なのでやめておきます。

水門の方に行きます。


水門のすぐ近くを歩けます。


巨大なコンクリートの建造物。圧倒されます。


いざという時にはゲートが下りる仕掛けです。


ワイヤーが見えます。


この海から津波が来たとき、この水門は果たして無事でいられるでしょうか。


川のすぐ近くにある中学校。旧気仙中です。

2階まで打ち抜かれていて、向こう側が見えます。

周辺図です。


近づいてみましょう。

かつてはここもグラウンドだったんでしょうね。
体育館などは壊滅して撤去されたのでしょう。

もう、すっかり廃墟です。


見学はガイド同伴です。

逆に言えば、ガイドがいれば入れるってことですか…?
ぬかったあ…。事前に調べておけばよかった…。
(素人の甘さ)

見ると、表示もありますね。


屋上まで津波が来たそうです。

屋上に避難していたら、死んでいましたね…。

この気仙中、皆、高台に避難したみたいで、生徒も教職員も犠牲者はゼロですって。

さすがとしか言いようがないですよ。

ちなみに中学校の裏にある、コレは何だと思いますか?


正解はベルトコンベアーの跡です。

高台を造成するために、超巨大なベルトコンベアーを設置していたその跡です。
過去の記事(7年前)へリンク

気仙中と、水門を振り返ります。


かつて、川にかかっていた橋の跡です。

さっき伝承館でその残骸がありました。

あの巨大な水門も、こちらから見るとちっぽけです。

おそらく、以前のような津波が来たら一発で破壊されるでしょう。
でもかなり津波の勢いは食い止めるはずです。

ベルトコンベアーの跡は川の向こうにもあります。

つまり、ベルトコンベアーは川にかかっていたのです。

バリケードで迷路だらけだったあの辺も実にスッキリしました。


この辺の平地は更地、田んぼです。

やはり、建物が建てられることはないでしょう。

広田湾から陸前高田の街並みが見えないかと岬の方に行ってみます。

途中で、例の定住促進住宅が見えました。


平地は更地でも、高台に住宅の再建が始まっています。




今回、写真は取り忘れましたが、高台にあって、かつては校庭に仮設住宅が並んでいた高田一中の周辺もきれいな住宅街になっていました。

かつては、このへんに三陸鉄道が通っていたんですよ…。


海沿いを行くと、巨大なコンクリートの防波堤が見えてきました。


高い壁です。


まるで刑務所の壁ですが、津波的には大丈夫なんでしょうか?

台形になっていないから、津波でポッキリ折れそうな気がするんですが…。
(´・ω・`)

ちなみに、厚さは1メートル半ってところですか。


高くて怖いです。

(じゃあ、乗るなよ)

牡蠣の養殖ですかね?


漁港もありましたよ。


この辺は堤防が台形なので、分厚いです。


漁港です。

匂いがお届けできないのが残念ですが、すごく、生臭いです。




岬の先端の方まで来ました。


広田埼です。


この辺はかつてレストハウスがあったらしいです。


いくつも道があるみたいなので、左の方から行ってみますか。

つーか、看板が読めないですね。

ちょっとした山道を降りて行くと、すぐに海に出ます。


なにやら祀られています。


岩がゴッツゴツです。


青松島というのが見えるらしいです。


碑がありました。


達筆すぎて、なんと書いてあるやら…。


向こうが広田湾の方面のようです。

高田の町は当然、見えませんね。

ちなみに、今立っている場所はこういう断崖絶壁。

ちょっと怖いです。
もちろん、柵なんかもないです。

潮だまり発見。

何か生き物がいますかね?

目の前に島があります。

たぶん、青松島と椿島といったでしょうか。

たぶん、こっちが椿島。


青松島の先に小さな岩があります。

あれも島とカウントするのでしょうか。

今度は右手側の方に行ってみます。

こっちなら高田の町が見えるかも?

山道を少し降りて行くと、






すぐ海に出ます。


こっちもゴツゴツの岩です。

同じ海岸なんだから当たり前ですが。

灯台が見えます。


太平洋です。


こっちにも、潮だまり。

柵とかあるので近づけませんが。

向こうに半島というか岬というか見えますね。


残念ながら、


高田の町は見えないようです。


角度的に、


太平洋しか。


大きな海しかみえませぬ。


それから、ちょっと市街地の方に来てみました。


市役所、図書館のあたりは街並みがとても新しいです。




大きな公園もあります。


この周辺です。


図書館です。

なんだか、すごくオシャレ。テラス席とかもあります。

机なども新しい。

5年前に開館したようです。

隣はショッピングモール。


さて、そんな市街地の裏手には「本丸公園」なる山があります。


要は城跡ですね。


市街地の避難所にもなっています。


麓には石碑群があり、



歴史を感じさせます。

高台から先ほどの商店街がよく見えます。


まだまだ空き地もありますが、整然と区画されて、駐車スペースも多く、便利な街になりそうです。


山の中腹には神社が。


こちらは割と新しい感じです。


ちょっと高くなりました。広田湾が見えます。


中央の大きな平べったい屋根がショッピングモール。

右のナナメの屋根が図書館部分。右上の大きな黒い建物が博物館です。

こちらも先ほどより、少し高い地点から撮りました。
木が邪魔です。


もうすこし高く登ると鎮魂碑が有りました。


ここも多分避難所になったのでしょう。


奥に「忠魂碑」がありました。


戦時中の犠牲者を弔ったものと思われます。


陸軍の方が書いたようです。


この一帯の高台は城跡だったようです。


この辺が本丸だったかもしれません。眺めは良さそうです。


さらに奥に進みます。

廓跡とみられる平らな場所もあります。

まだ奥があるみたいです。


椿の季節です。


わりと咲いています。


さらに奥に進むと古びた鳥居がありました。


奥に神社があります。


これはまた、古い神社。

先ほどの神社ほど手入れがされていないようです。

近くには古く倒れた碑が無造作に転がっています。




裏手の道もあるようですが、どうやらこの神社が高台の最頂部で間違いないようです。


八幡神社があるところから「八幡舘」といわれていたそうです。

大名の名前が分かっているのも驚きですね。
名君だったのかもしれません。

この高台の東側に市庁舎がありました。

以前の市庁舎は震災で被災してしまいました。
新たな市庁舎はさらに内陸に作られています。
当時の市長(今も市長ですが)は自分の家族を震災で失っています。
市役所のページにリンク

このまま復興が進んでくれればなあと思います。

街が新しく作られて行くのを見て、キレイだなあ、と羨ましくなりました。
新しい街っていいですね!(*^▽^*)

【撮影日:2022/04/03】



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