
3学期始業式、とてもよかった。まず入場が話し声一つ無く整然と行われた。
3学期の目当ての発表は、代表の12人を前に出して座らせた。その場で「6年の2人立ちなさい。一人終わって座ったら、次の人が立ちなさい。ではどうぞ。」それだけ指示して始めた。6年の2人の、「6年間の最後を締めくくる学期として、最上級生らしく...」という話の内容ももちろん良かったが、その発表が終わると何事もないように5年生が立って自分の番を待ち、自分の番が来るときりっと礼をして発表を始め、そのときにはすでに次の子どもは起立して自分の番を待ち....たった10秒ぐらいで指示したことを、その場で理解し、1年生までそのルールに則って指示しなくてもよどみなく発表が続いた。
聞く態度も良かった。話し方がうまいからである。よく考えて自分の言葉を探しながら話すから、ついつい引き込まれてしまう。それでも、内容の善し悪しもあったし、話す声の大きさ、速さにも善し悪しがあった。(新年早々で、練習は各個人に任されていたのだから、当たり前である。)
そこで、その辺りを聞いている子ども達にも意識させようと思った。12人の発表が終わり全員が座ったところで「みな、良い発表でした。さて、この中で一番聞きやすい発表をしたのはだれでしたか?」「一番、話すスピードがちょうど良かったのはだれですか?」「一番声の大きさがよかったのは、だれですか?」「............そういう事を考えて比べながら聞くと、皆さんも聞くだけで賢くなるのです。」と話しをした。このとき、全校の子ども達も何かしら考えるだろうし、代表の12人の中の高学年の子ども達は自分の話の内容を自分なりに評価するだろう。代表者を立たせた。「一生懸命に発表した代表のみんなに拍手しましょう。」
校長先生の話を聞く態度も良かった。
校歌の斉唱は素晴らしい声だった。特に2年生の息の吸い方が体いっぱいを使い感心した。
最後の退場の際は、もう一度子ども達を試した。「全員座りなさい。今から退場の仕方を言いますから、最後まで聞いて覚えなさい。」「6.5.4.3...というように、高学年から順に退場します。」「6年生の歩きが見本です。胸を張って前を見ます。前の人との間隔を適度にあけます。その辺り6年生が上手だから見て覚えなさい。」「6年が退場し終わったと思ったら、5年生は自分たちで考えて立ちます。その後の学年も、前の学年の退場が終わったら、自分たちで判断して立ちなさい。」「6年生も自分たちで考えて立ちなさい。では始めます。どうぞ!」
全校が注目するのだから、もちろん6年生は気を張って歩いた。うまい子もいれば、そわそわしている子もいるが、すかさず聞こえるように「どうです。うまいでしょ。これが6年です。」とほめる。これで6年生たちは、さらにどう演じたらよいか考えざるを得なくなる。
6年が退場すると、何事もなかったように5年生が全員一糸乱れずさっと立ち、回れ右をして動き出す。おそらく、6年生よりも無駄な動作が少ない。これは今表現の取り組みが進み出している証拠である。他には、3年生と2年生の歩き方が、どうやったら美しく見えるだろうと考えている様子がありありと見えた。この2学年も表現の取り組みが進んでいるからだ。
2年生、1年生の起立のタイミングも見事だった。横目で前の学年が体育館からでるタイミングをずっと見続け、互いに目配せして「今立つの?。」「まだ、あと4人。」「よし今だ!!」「せえの、よいしょ!」そんな声なき声が聞こえてくる。
そして、先頭の2人の歩き出すタイミングも見事だった。「いくよ。」「待って。今行くと出口で詰まるよ。あの人が出るまで待とう。」「分かった。......あの人が出たからもういいよね。」「うん、行くよ。」
そして全員が体育館からいなくなる。それでも、体育館の中には凜とした空気が残る。
3学期の目当ての発表は、代表の12人を前に出して座らせた。その場で「6年の2人立ちなさい。一人終わって座ったら、次の人が立ちなさい。ではどうぞ。」それだけ指示して始めた。6年の2人の、「6年間の最後を締めくくる学期として、最上級生らしく...」という話の内容ももちろん良かったが、その発表が終わると何事もないように5年生が立って自分の番を待ち、自分の番が来るときりっと礼をして発表を始め、そのときにはすでに次の子どもは起立して自分の番を待ち....たった10秒ぐらいで指示したことを、その場で理解し、1年生までそのルールに則って指示しなくてもよどみなく発表が続いた。
聞く態度も良かった。話し方がうまいからである。よく考えて自分の言葉を探しながら話すから、ついつい引き込まれてしまう。それでも、内容の善し悪しもあったし、話す声の大きさ、速さにも善し悪しがあった。(新年早々で、練習は各個人に任されていたのだから、当たり前である。)
そこで、その辺りを聞いている子ども達にも意識させようと思った。12人の発表が終わり全員が座ったところで「みな、良い発表でした。さて、この中で一番聞きやすい発表をしたのはだれでしたか?」「一番、話すスピードがちょうど良かったのはだれですか?」「一番声の大きさがよかったのは、だれですか?」「............そういう事を考えて比べながら聞くと、皆さんも聞くだけで賢くなるのです。」と話しをした。このとき、全校の子ども達も何かしら考えるだろうし、代表の12人の中の高学年の子ども達は自分の話の内容を自分なりに評価するだろう。代表者を立たせた。「一生懸命に発表した代表のみんなに拍手しましょう。」
校長先生の話を聞く態度も良かった。
校歌の斉唱は素晴らしい声だった。特に2年生の息の吸い方が体いっぱいを使い感心した。
最後の退場の際は、もう一度子ども達を試した。「全員座りなさい。今から退場の仕方を言いますから、最後まで聞いて覚えなさい。」「6.5.4.3...というように、高学年から順に退場します。」「6年生の歩きが見本です。胸を張って前を見ます。前の人との間隔を適度にあけます。その辺り6年生が上手だから見て覚えなさい。」「6年が退場し終わったと思ったら、5年生は自分たちで考えて立ちます。その後の学年も、前の学年の退場が終わったら、自分たちで判断して立ちなさい。」「6年生も自分たちで考えて立ちなさい。では始めます。どうぞ!」
全校が注目するのだから、もちろん6年生は気を張って歩いた。うまい子もいれば、そわそわしている子もいるが、すかさず聞こえるように「どうです。うまいでしょ。これが6年です。」とほめる。これで6年生たちは、さらにどう演じたらよいか考えざるを得なくなる。
6年が退場すると、何事もなかったように5年生が全員一糸乱れずさっと立ち、回れ右をして動き出す。おそらく、6年生よりも無駄な動作が少ない。これは今表現の取り組みが進み出している証拠である。他には、3年生と2年生の歩き方が、どうやったら美しく見えるだろうと考えている様子がありありと見えた。この2学年も表現の取り組みが進んでいるからだ。
2年生、1年生の起立のタイミングも見事だった。横目で前の学年が体育館からでるタイミングをずっと見続け、互いに目配せして「今立つの?。」「まだ、あと4人。」「よし今だ!!」「せえの、よいしょ!」そんな声なき声が聞こえてくる。
そして、先頭の2人の歩き出すタイミングも見事だった。「いくよ。」「待って。今行くと出口で詰まるよ。あの人が出るまで待とう。」「分かった。......あの人が出たからもういいよね。」「うん、行くよ。」
そして全員が体育館からいなくなる。それでも、体育館の中には凜とした空気が残る。
初任者にもこの2つの始業式のブログを読んでもらった。初任者はみんな驚いた。こういうところに配慮できることが大切なんだと・・・。
本校はありがたいことに、その後職員室で「教の始業式よかったね。」「あの始業式でスイッチがはいったからかなあ、体育を終えて体育館から教室へ向かう4年生の姿が素晴らしかったよ。5年生かと思っちゃった。とっても楽しそうに歩いていたね。」「ちょっと指示しただけであれだけできるのだから、去年ねちくりやったことがまだ体に染みついて残っているんだね。」「そうそう。去年はやらされていていやだったんだけど、いつの間にか身に染みついたら、それが楽しくなったんだね。」などと、皆でその思いを共有できることが、幸せです。積み重ねの重みを感じます。