
体育館が耐震工事で使えないため、今日の終業式は運動場で行いました。
思えば、私が子どもの頃は入学式や卒業式以外の式は外で行うのが当たり前でした。そして、行進して教室に入りました。それが、体育館で行うことが当たり前になったのはいつのことからでしょう??
ですから、外でできない訳はないのですが、心配なのは、さすがにこの暑さです。外で行うことになれていない上に、あまりにも暑いと、子どもたちが、倒れてしまいます。
そこで、運動場南の木陰に全員集めて行うことにしました。全員日陰にはいるために、整然と並ぶのはあきらめよう。なるべく、座らせて話しを聞かせようと考えました。そのかわり、毅然とした態度で話しを聞かせようと考えました。
この日は、ここ数日間のもやもやした湿気を多く含んだ白っぽい空気が去り、暑いながらもすっきりした青空です。こんな奇麗な空の元で、意見を発表し、木漏れ日の中でそれを聞く、いいじゃありませんか!!
校長先生だって、この暑い中、汗だくになりながらお話をします。どうやったら、1年生にも、6年生にも聞かせることができるか。そして、話したい内容が伝わるか?考えに考えた内容です。やっぱり、子どもたちの関心のある話題で話さないといけない。しかも分かりやすい内容、途中で子どもたちに反応させ自ら話させることで集中させたいと、何度も原稿を手直ししていました。
悔しかったのは、校歌です。
運動場に広く散らばったので、互いの歌声が聞こえません。声も響きません。とたんに子どもたちは弱気になります。それを見越して、音楽主任が、歌う前に行きの吸い方の練習をしているのに、少しも体が動きません。体が固まっているので、息が吸えません。息が吸えないから声が出ません。
すぐに「息をすって。」「体を開いて!!」「膝で息をしないと、声がでないよ。」と声を掛けます。少しずつ声が出てきたので、すかさず
「1年生、言い声になったね~」
「2年生もいいねえ~」
と褒めていきます。
5年生の平野先生も同時にすぐに動きます。子どもたちの前に出て、仕草をつけながら、「膝を使おうよ。」
「ほら、できることをしなくちゃ。」
身振り手振りで、言い声の出し方を指示します。
悔しかったのはこの時です。
5年生は平野先生が声を掛けると、すぐにいつもの素敵な歌声に戻ります。
私が、歌の途中で声を出したからには、本当は全校が変わらないといけません。そのために、音楽主任が指揮をしているのに、声をだしたのです。
でも、悔しいことに全校の声が、いつもの声に戻ることはありませんでした。
「4年生、言い声になったね~」
「5年生、膝で息が吸えたね~」
「3年生、言い声が聞こえるよ~」
でも、やっぱり本当はもっと出るはずの声が、でてきません。くやしいなあ。もっといい声になるのに。
俺が、声を出した以上は、平野先生の一声で5年生がよみがえったように、全校がよみがえらないといけないのに・・・・・・まだ、こんなに体が固まって、心を開かない・・・・・くやしいなあ。
でも、最後の退場の姿、いいでしょ。青空に向かって、胸を張って歩く。いいなあ。9月から、始業式だけでなく朝礼も、そとでやろっと。そして、校歌もこんなもんじゃ無くなるようにしちゃうぞと思うのでした。
っと、思っていたら、もうそれに向けて手を打っている先生がいました。こういう姿があるから、光明のレベルは落ちないのです。
あとから、
「さすがですね。」
と話したら、
「いやあ、このままいたら、教務が怒るだろうと思ってね。」
とにやり。
う~ん、教務の立場で、声を出しすぎたのかなあと考えてしまいます。
が、やはり自分らしく行くしかないと、気を取り直します。
これは、日頃築いてきた子どもづくりがこの暑さの中でも、できるだけ崩さないようにという強い願いからきていると思います。とっても大切なことですね。
私が勤務しているいくつかの学校でも集会や会礼などがありますが、こういうことをもう少し考えてもらいたいと思うことがあります。教室から会場に向かうときの無駄話、会場に着いてからの私語、小さな歌声、金管バンドでの騒々しい退場の伴奏、手足を振り上げるようにして歩かせる歩行指導などです。これでは、子どもを集中させるどころか、散漫にし、荒削りにし、他の多くの教育活動に悪影響を与えてしまうと思うのですがどうでしょか。