
表現活動を見合う会を行った。
本校はここ3年間表現活動に力を注いできた。しかし、過去2年間は研究の成果としてお客様に見せる機会は設けたが、子ども達自身が互いに見合う機会は作ることができなかった。
そこで、互いに見合って、刺激を与え合い、勉強し合う会を、どうしても行いたかった。
当初年間計画に入っていなかったが、半ば強引にこの日を設定し、こぎつけた。
本校に赴任したばかりの表現を見たことのない先生方にとっては、とまどいの多い1年間だったと申し訳なく思う。
しかし、この会が近くなると、先生方の目の色が変わってきた。
「今日の、あそこの部分は、子ども達が見ていただけだけど、スイミーの呼びかけに対応して、もっと全員が豊かに動きたいよね。」
などと、練習が終わると職員室で学年の先生同士が、身振り手振りを交えて熱心に話し合う。
「totoro先生。今日ね、T君がとっても楽しそうに歌ったの!!今まで授業でもふてくされていたし、表現もぶすっとしていたのに!! 見せたかったなあ!!」
「あんなに、今まで指導しても指導しても響かなかったのに、自分からすごくいい表情になったの!! もう嬉しくって!!」
「それまでふざけていた子が、一人、また一人と表現にのめり込んでいって、最後に一人取り残されて、昨日はきょとんとしてたものね!!」
などと、表現を通して教師同士の話も弾む。
表現を行うことを通して、教室だけでは揺さぶれなかった子どもの心が確実に変わってきた。それを実感として感じた教師が、さらにのめりこんでくるのだ。
明後日が表現を見合う会という日の朝。
6年生の先生方は思案に暮れている。
「子ども達がもっと練習したいって言うんです。」
「でも、もう体育館は全て予約が入っているし、音楽室では...」
「じゃあ、昼休みか、朝しかないなあ..。」
「前日の、この昼休みはどう?? 確か、5年以下は6送会の準備で忙しいけど、6年生だけはフリーだよ!!」
「だけど、6送会の準備は縦割り班でおこなうから、子どもは空いていても、私たちは指導をしなくては...」
「そこは、5年生によく頼んでおくから。5年生は、しっかりしてるから大丈夫!! そのかわり、集中していい練習をしてね!!」
こうして、手応えを感じつつも、どの教師も完成はできなかったという不安を感じつつ、当日を迎えた。
だから、「表現を見合う会」本番でも、教師はスーツ姿で、いすに座り、ただ遠くから眺めるなんてことは、しない。
お客さんのことは、校長先生に任せよう。
私たちは、常に子どもと共にいよう。
そうした、心意気を感じる。
表現を行う学年の先生は、扇の真ん中に座り、目で合図し、手で合図し、声で合図し、子ども達の一番いい姿を引き出してあげたいと、あらゆる手段を試みる。
主役である子ども達のじゃまにならぬように配慮しながら。
そのかたわらには、その先生と共に協力して、苦労して指導してきた先生の心配そうな目がある。
たとえ中央にいなくても、一人一人の子どもを目で追い、「こうするといいよ!!」と、テレパシーを送る。
子ども達の手が、いつも通りに動いていないと感じると、思わず手をひらひらと動かし、一人でもいいから気付いて欲しいと願う。
「よし。いいぞ。」
「今日は、のってるなあ。」
とついつい声がうめき出る。
5・6年生は、器械体操を行った。
水を打ったように澄み、ぴんと張り詰めた空気の中で、子ども達は演技を行う。
本来なら、1秒か2秒で終わる前転の動作を、何十個にも分解し、その一つ一つを丁寧に演技することで、1分も2分もかかる。
シビアにまでも、体重や重力に逆らってこらえる子ども達を、指導してきた、2人の教師が、対角線上に位置取り、じっと見据える。
「こいつらならできる。」
「最高の演技になるはずだ。」
そう信じて、一つ一つの動作を見据えている。
ただただ信じて、じっと見据える6年の教師の目。
それをも振り切って自分の心と対話し、体と対話する子ども達。
美しい光景である。
その、演技の良さも悪さも、見逃さずに見抜いていこうという目が
さらに、あと2つある。
まず一つめは、
同じ学年の子ども達同士が
ともに演技をしながら見つめる、仲間の目である。
「あいつならできる」
「私も続く」
「俺たちみんなで作り上げる。」
そう信じて、じっと前を見る。
もう一つの目は、子ども達が他学年の演技を見る目だ。
演技する一人一人の気迫に答え、「それなら、あなたのその覚悟が本物かどうか見抜いて見せましょう。」
そんな意気込みで演技を見つめる。
だから、これだけの人数が体育館にいて、ざわつきを感じない。
感じないどころか、衣服の衣擦れの音、咳払いをする音が大きく感じるほど静かだ。
その静寂な中の、目、目、目。
見ている方も、見られている方も迂闊なことはできない。
ちょっとでも集中を切らしたら、自分だけが目立ち、浮いてしまう。
見ている方も、見られている方も真剣勝負。
保護者も立派だ。よその学校の学習発表会では、保護者がうるさいと感じることがある。
しかし、本校の保護者は空気を読み、じっと見つめる。
一緒になって、子ども達に
「頑張れ!!」
「すごい!!」
「鳥肌が立つほど感動するなあ。」
と心の中で、エールを送る。
たまたま参観に来た、幼稚園のちびっ子だって、この雰囲気をしっかり感じて、じっと見据える。
子ども達と、指揮する教師と、見守る子どもと保護者、その全てを画面に入れてみると、その一体になった会場の雰囲気が手に取るように見える。
ここには、部外者は一人もいない。
みなが参加して、この会を作り、この会を味わっている。