学年で教材研究をしました。
ちいちゃんがきらきらわらいだしたのはなぜかについてです。
きらきら=希望や生命感に満ちあふれ、はつらつとして見える。
わらう=うれしい・おかしいなどの時、目を細め、口許をゆるめて、やわらかい表情を見せる。
死ぬ間際なのに、希望や生命感に満ちあふれるのはおかしなことです。
ちいちゃんが笑い始めたのはどこ?
お父さんの声が降ってきた=あれ、そんなことがあったね。
立ち上がったとき=なんとか影送りをしたいな
白い影が4つ=お父さんやお母さんにあいたいな。
空色の花畑=悲しみはなくなる
「ね」は共感や親しみの気持ち 「ああ」=感動なので
ただし、色とりどりの花ではなく、空色の花畑なので「まあ、きれい」といった感覚ではないと思う。
すると、次のどちらかが笑い出すきっかけは、その後の部分に入っている。
(1)お父さんとお母さんとおにいさんが笑いながら歩いてくる
(2)「なあんだ。みんな、こんな所にいたから来なかったのね。」
(1)だと、やっとみんなに会えた喜び。
(2)だと、疑問が解消したから。
なんだ=疑念や不安が解消して、安心する意。
疑念や不安=家族が「きっと来る」と信じていたのに来なかった。
「なあんだ」は、不安が消えた言葉。だからこの言葉から笑顔になった。
よかったあ、といった感じの意味だろう。
なあんだまで、ちいちゃんは一人でけなげに、緊張して、気を張って生きてきた。
お父さんは、死んだかも知れない。
お母さんは、戻ってこないかも知れない。
寝ているいうちにお母さんが帰ってきたら、見逃してしまうかも知れない。
炊き出しに行きたいけれど、この場所を離れたら行き違いになるかもしれない。
このままでは、私はどうなるのだろう?
さびいしいな。
お母さんに会えなかったらどうしよう。
しかし、もう、そうしたことを考える必要がなくなったことが納得できたのだ。
花畑=天国といったイメージがある。
空 =死後の世界といったイメージがある。
しかし、今の子どもたちはそうした常識を持っていない。
だから、日本人のもっているこうした言葉のニュアンスは、初発の感想ででた時点で、取り上げて教えてあげた方がよいということになった。
ところで、ちいちゃんは死を感じているのだろうか?
少なくとも、恐怖は感じていない。
一人で生きるよりも、みんなと一緒なら死後の世界の方が安心できる。
どこからが死後の世界なのかも議論が分かれるが、
しかし、どこから死後の世界にしても
影送りからあとは、暑さ、寒さ、空腹と行った現世の苦しみからは離れている。
45回 | 9月6日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
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