ちいちゃんのかげおくり
お父さんの声とお母さんの声はふってきました。
ふってくるの意味は?
・だんだん聞こえてきた。
・聞こえ始めた。
・動作が済んだ
何が降ってきたに近いのか
・雨
・雪
・雹
2度目のかげおくりをしたのかしないのか
立ち上がったのか、本当は立ち上がってないのか
これについて、学年で教材研究した際、議論になりました。
まず、していないという立場についてです。
していない根拠としては、
防空壕がどういう形態かが分かりませんが、ちいちゃんは壊れ掛かった防空壕で寝ています。
この場面は「夏の初めのある朝」と書かれています。
6月初旬の朝のことです。
ここで言う防空壕は、縦穴にふたをしたような物だと考えます。すると、あまり高度が低いと光は差し込みません。
「明るい光が顔に当たって、目が覚めました。」とあるので、5時ではまだ明るい光とは言わないでしょう。7時~9時ごろのできごとです。
ここで気になる表現が
「いつのまにか、太陽は、高く上がっていました。」
です。
いつのまにか=知らないうちに物事が成立するさま。
夏の太陽の高度は冬に比べたら高いです。
でも、高くというのですから、11時~2時ごろのことのように感じます。
朝7時頃、光が当たって目が覚めたけれど、うとうとして気がつくと11時頃になっていた。と読むことができます。
しかし、これだと「夏の初めのある朝」と合致しません。
だから、私は、
ここから、もうろうとした精神の世界に入り込んでいるように感じます。
太陽が高く上がっていました。
そのとき、お父さんの声が、青い空からふってきました。
とあるのですから、「太陽が高く上がる」と「お父さんの声」がセットになっています。
「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」
というお父さんの声も
「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」
というお母さんの声も、
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
という、重なって聞こえるお父さんのひくい声も
「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
というお母さんの高い声も
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」
というお兄ちゃんのわらいそうな声も、
全て空耳だと考えられます。
とすると、
ちいちゃんは、ふらふらする足をふみしめて立ち上がると、たったひとつのかげぼうしを見つめながら、数えだしました。
の部分も、本当に立ちあがったのではなく、夢の世界での出来事だと言うことになります。
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
の部分も、本当に言葉に出ているのかどうか分かりません。
ただ、自分の声は聞こえています。
唇ぐらいはもしかしたら、無意識のうちに動いているのかも知れません。
これに対して、本当に影送りをしたのだという立場です。
「明るい光が顔に当たって」=いつのまにか、太陽は高く上がっていました。
という意見です。
つまり、目を覚ましたときに、すでに10時頃だったのです。
すると、ふらふらする足をふみしめて立ち上がることができます。
夢の中の出来事だったら、ふらふらする必要はありません。
また、踏みしめるという言葉には実感が伴っているように感じます。
踏みしめる=力をこめて、しっかりと踏む。
また、この影送りが、最初の場面を心の中で思い出しているとすると
「たった一つの影法師」がおかしいことになります。
思い出を思い出しているのだとしたら、最初からかげは4つです。
また、思い出だとしたら
最初に数え出すのはお父さんです。
ところが、お父さんの声は、ちいちゃんの声に重なって聞こえ出します。
どちらの意見も、その通りだと思います。
どちらかひとつにする、証拠の言葉が見つかりません。
すると、授業でこのことについては、どちらもあるという立場で臨まなければなりません。
中途半端な解釈で授業をしても、答えにたどり着かず消化不良の授業になります。
しかし、どちらの解釈に立つにしても
「ちいちゃんが、空を見上げると、青い空に、くっきりと白い影が4つ。」
ここからは、空想の世界です。
45回 | 9月6日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
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