
いよいよ、金曜日の発表を明後日にひかえ、リハーサルを行った。
出入りと位置の確認、学年間のつなぎの部分を主に行った。
それぞれ、さわりのほんの一部を披露してくれたのみなので、その内容は詳しくは分からない。
6学年を通して見て、それぞれの学年のカラーの違いがよく分かった。
どの学年が真剣で一つにまとまっているのか、目的がはっきりしているのかが歴然と見えた。
例えば、5年生と6年生はどちらも、表現活動として器械運動を行う。
↓5年生の様子。
↓6年生の様子
それぞれたった5分ほどの子ども達の動き方で、心意気の違いが感じるのだ。
10mも20mも先の底が見える澄み切った湖のような雰囲気の学年と、整然と並んではいるが言われたとおりに動けばいいのだ、本番だけやればよいのだと考えている学年では、体育館の空気が違う。
体育館の空気が一滴の曇りもなく澄み切ると、見ている私たちが着物のこすれる音一つ立てても申し訳なく思う。
2.3.4年生はオペレッタを行う。
2年と3年は、いい勝負だ。
↓3年生の入場の様子
3年生の決めのポーズ
↓3年生の退場の様子
↓2年生の演技の様子
↓2年生の退場の様子
決めのポーズや、ことば、歌、どれをとってもいい勝負のように感じた。
子ども達が柔らかい。心から楽しんでいる。表現を演じている喜びをどの子からも感じる。
ただ1点違いが見えた。
それは、イメージの深さだ。
3年生は退場一つにしても、3年とうげの山になり、岩になり、おじいさんになって、腰を使い、膝を使いそのイメージをそれぞれがもって、しかもそれが全体と調和して一つの風景を作り出す。
2年生は、止まった場面場面のイメージは写真から見て取れるように素晴らしく表現している。しかし、入退場や体刑移動の際の動く様子を見ると、情景の一部として動こうという意識よりも、目的地まで行き着こうという意識の方が強いように思う。
おそらく、「目的地はだいたいあの辺りに行こう」あたりでよく、昨日自分の立った位置に友達が先に入れば、それに対応してぽっかり空いた空間をみつけ、そこに収まればいいのだと思う。3年生の動きからはそんなことを感じる。2年生は、それぞれの立ち位置が決まっていて、そこに行き着こうとしている。
そんな微妙な差を感じた。
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