totoroの小道

「挑戦することで、きっといいことがある」  http://www.geocities.jp/totoroguide/ 

戦い

2009-02-19 06:10:02 | 表現

いよいよ、金曜日の発表を明後日にひかえ、リハーサルを行った。

出入りと位置の確認、学年間のつなぎの部分を主に行った。
それぞれ、さわりのほんの一部を披露してくれたのみなので、その内容は詳しくは分からない。

6学年を通して見て、それぞれの学年のカラーの違いがよく分かった。
どの学年が真剣で一つにまとまっているのか、目的がはっきりしているのかが歴然と見えた。

例えば、5年生と6年生はどちらも、表現活動として器械運動を行う。
↓5年生の様子。

↓6年生の様子

それぞれたった5分ほどの子ども達の動き方で、心意気の違いが感じるのだ。

10mも20mも先の底が見える澄み切った湖のような雰囲気の学年と、整然と並んではいるが言われたとおりに動けばいいのだ、本番だけやればよいのだと考えている学年では、体育館の空気が違う。

体育館の空気が一滴の曇りもなく澄み切ると、見ている私たちが着物のこすれる音一つ立てても申し訳なく思う。

 

2.3.4年生はオペレッタを行う。

2年と3年は、いい勝負だ。

↓3年生の入場の様子

3年生の決めのポーズ

↓3年生の退場の様子

↓2年生の演技の様子





↓2年生の退場の様子

決めのポーズや、ことば、歌、どれをとってもいい勝負のように感じた。

子ども達が柔らかい。心から楽しんでいる。表現を演じている喜びをどの子からも感じる。

ただ1点違いが見えた。
それは、イメージの深さだ。

3年生は退場一つにしても、3年とうげの山になり、岩になり、おじいさんになって、腰を使い、膝を使いそのイメージをそれぞれがもって、しかもそれが全体と調和して一つの風景を作り出す。

2年生は、止まった場面場面のイメージは写真から見て取れるように素晴らしく表現している。しかし、入退場や体刑移動の際の動く様子を見ると、情景の一部として動こうという意識よりも、目的地まで行き着こうという意識の方が強いように思う。

おそらく、「目的地はだいたいあの辺りに行こう」あたりでよく、昨日自分の立った位置に友達が先に入れば、それに対応してぽっかり空いた空間をみつけ、そこに収まればいいのだと思う。3年生の動きからはそんなことを感じる。2年生は、それぞれの立ち位置が決まっていて、そこに行き着こうとしている。

そんな微妙な差を感じた。

にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ 藍色と空色と緑のページ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿