50回 浜松授業研究の会
石井先生が、授業のあるべき姿について、今までの実践の手の内をさらけ出して語ってくださった。
あまりにも私たちの実践とレベルの違ったものだった。
ああ、授業次第で、子供とは、ここまで純粋な姿になり、ここまで追求する子供になるのかと恥ずかしくなる。
子供のレベルがどうの、最近の親はどうのと、ごたくを並べる前に、
もう一度初心に返って、教師のいろはから、純粋にその道を進まねばと思い知らされた。
のびのび体全員で歌っている。
最初の指導の時に、何を求めているのか。
教え込みの授業を否定しない。
教え込みは必要。
ただ、教え込みで終わっているからダメなのだ。
歌なら、あの口を教えて理解させる。
あの口が、展開の核だからだ。
これができれば、他の口も作ることができる。
何事も「構え」と「集中」が大事だ。
あの口を教え込むことで、構えができる。
しかし、教え込むことだけで終わってはならない。
ここからが、合唱指導の大事なところだ。
子供たちに考えさせていくのだ。
歌詞の中身がともすると、軽薄になり、技術技術と技術を追っていく。
表現は、中にあるものを外にはき出す芸術だ。
中に何もなかったら、外に出せない。
今、どういう気分で、どういう表情でと考えがあるからできる。
地声と、歌声の違いをシンプルに伝える。
腹一杯にすった空気を、軟口蓋に当てていく。
息を当てる場所。
のどの奥のやらかい部分に声を当てる。
息をすって、ひんやりする場所。
技術的な面と、イメージを伝える面の両方が必要。
51回 |
4月11日 | 土 | 9:00 | 15:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
52回 | 5月9日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
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