totoroの小道

「挑戦することで、きっといいことがある」  http://www.geocities.jp/totoroguide/ 

民主的に

2014-09-04 05:21:22 | 学級づくり

私のクラスは、もともと少食、遅食の子どもが多い。
しかし、食育のことを考えると、時間内に完食させたい。

そこで、4月から配膳して残ったおかずはわたしが配って回た。
食の細い子どもたちは、予め減らす代わりに、時間内に食べるように指導した。
それでも食べられない子は時間を延長して食べさせた。
徐々に残菜も減り、時間内に食べられる子も増えてきていた。

しかし、そんな矢先に事件が起こった。
私のクラスなのか、他のクラスなのかははっきりしないのだが、牛乳や果物やパンなどが、トイレやベランダ下から次々に見つかるようになったのだ。
おそらく、食べられないこともが困って捨てているのだ。
これは、全校の問題となった。
各クラス目を離さないように監視しているが、後を絶たなかった。

 

全職員で話し合った。
完食は立派なことだけれど、それを求めるあまり、食べ物を粗末にする子どもを育てるのは本末転倒だということになった。

それ以来、配膳して残ってもそのままにした。
食の細い子どもたちには、「もう少し減らしておきなさい。」と指導した。
そして、おかわりする子を称揚した。
減らすことによって残ったご飯は、ごま塩をつけておにぎりにしておいた。
時間が来ると、食べられなかったものは全て残菜として処理をした。

せっかくできかけてきた「出された食べ物は、完食して当たり前」という雰囲気が減っていった。
残菜が増えてきた。
それをとても悲しく思っていた。
だから、給食の時間に教室を回り励ますのだが、なかなか成果が上がらなかった。

考え続けた。
もっと厳しく指導しなければならないのだろうが、それぞれの人格も尊重しなければならない。
どの家庭も共働きで忙しくて簡単なおかずや出来合いのおかずが多く、給食には食べたことのない食材が多いのだろうとも予想できた。
そうした家庭では、嫌いな物を工夫して食べさせることもしなかったのだろう。
いや、親自体が好き嫌いが多いのだろう。

私の子どもの頃は、まだ「飢える」という感覚があり、腹が減るという感覚があった。
父の車で町に出て、デパートの食堂に行くことが一大行事だった。
そのショーケースに並んだ、夢のような食品サンプル.....
しかし、それらは今はあたりにあふれている。
私が子どもの頃みたそうした食材は、高級感があったが、今は「ファーストフード」てきな地位になっているものも少なくない。
今の子どもたちは何不自由なく育っている。
おいしい物が、求めなくてもどんどん出てくる。
おいしい物が、周りにいっぱいある。
「飢えを感じる」「腹が減る」という体験がないのではないのだろうか?
だから、「ガツガツ」しない。

これは子どもたちのせいではない。
しかし、このままでいいはずはない。

 

そこで、夏の面談で、少食や偏食の子どもの保護者に協力を呼びかけた。
給食終了時の、その子の残菜の様子を写真に撮っておいて現状を理解してもらったのだ。

それから、9月当初のある日の残菜を全てビニル袋に入れた。
昼休みに、子どもたちを丸くなって座らせた。
そして、その残菜を入れた袋を全員に持たせて、その重さや量や、何より食べ物がゴミになった様子をよく見せた。

そして、
「何か、感想はない?」と切り出した。
S:こんなに残っているなんて知らなかった。
S:こんなにたくさんあるなんてびっくりした。
S:もったいない。
S:給食を作っている人たちは、こんなに残って悲しい思いをしているんだ。
S:食べ物をゴミにしてしまうなんて、よくないことだ。
S:給食の献立を作る栄養士の先生は、ショックだと思う
.........
.....しまったという思いを、それぞれが口にした。

多く子が、深刻な顔をして感想を互いに言い合った。
今まで、自分の残菜しか見ていなかった。
しかし、それがクラス全員分になると、どれだけの量になるのか、手にすることで実感をした。
今まで、「時間になれば嫌いな物も残すことができる。」と安易に考えてきたことも、積もり積もれば大変なことになるという重大さを理解したようだった。

T:こんなにたくさん残しているのはだれ? もったいないことをしているのはだれ?
S:僕たちだ!

S:もうちょっと頑張ってみるよ。
S:いつも僕たち、話しすぎているから、話すことより食べることを頑張ってみるよ。
S:配膳をもっと早くして、食べる時間を確保したらどうかな?
S:わたしは、食べられないこの分までお代わりして食べてあげる。
S:やっぱり、こんなに残すのはよくないよ。
S:残してもいいって考え方はよくないね。
....... 
そんな話し合いをした。

次の日の給食。
配膳が終わると、ひじきが残っていた。
「いただきます」のあと、イワシと夏みかんを減らしに来る子の列ができた。
(イワシ2尾 夏みかん2袋が配膳されている。)
いつもなら、2つのうちの1つを戻し、さらに時間内に食べられずにその1つさえも完食しないで済ます子がいる。
しかし、今日は、それぞれ0.5だけをもどして席に戻っていった。
ご飯を減らして持ってくる子も、いつもの半分の半分の子どもたちだった。
その減らす量も、いつもなら思いっきり減らしてあるのに、かなり申し訳なさそうに少しの量になっていた。

それぞれが、昨日の話し合いを受け、自分のおなかと相談して、ぎりぎり時間内に食べられる量を考えてのことだと感じた。
数人が残菜を確認しに来た........。
彼らは、残菜を出したくないのだ。
ひじきがあること、食の細い子どもたちがミカンとイワシを減らした量を確認し
S:ぼく、ひじき大好きだよ。あとでお代わりに来るよ。
S:わたしは、みかんなら食べられるよ。
S:イワシってね、骨になるんだよ。
S:ひじきは、血になったり髪の毛が黒くなったりするんだよ。
S:じゃあたくさん食べるといいじゃん
......そんな言葉が飛び交った。

10分ぐらいたつと、食べ終わった子どもたちが配膳台に集まり、
S:ひじき大好き。
S:おいしかったから、たくさんもらっていくよ。
S:骨が丈夫になるから、いわしも~らい!!
と次々に、残菜をもっていく。
S:先生、残ったご飯でいつもみたいにお握りを作ってよ。
(いつもお握りを作るのだが、その殆どが残るので作らないようになっていた。)

あと5分で給食の時間が終わる。
いつものように、机間を回る。
遅食の子どもたちが次々に
S:先生見て、あとこれだけだよ。
S:今日は全部食べられそうだよ。
S:頑張ってみたら、ほら今日はあとミカンだけだよ。
S:先生、ぼくね、夏休みに家で嫌いな物を食べる特訓をしたんだよ。見て、イワシも食べられたよ。
.....と報告してくる。

食事の時間が終わった、
久々の残菜0となった。
皆で、拍手をした。

怒って、命令して食べさせるのではなく
残菜をそのままにするのではなく
みんなで考え、解決することの気持ちよさ。

そのためには、保護者にも子どもたちにも、正しく情報を公開して問題点を理解してもらう。
当たり前のことだけれど、あらためてそんなことが分かった。

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