
指導主事訪問の際、指導主事がまわる少し前に各クラスに行って、授業の様子を見せていただきました。
クラスに入ると、クラスの空気があります。「明るい」とか、「楽しいとか」、「柔らかい」とか............
しかし、森島先生のクラスと、平野先生のクラスは他のクラスと全然空気が違います。
クリアーなのです。済んでいます。よどみが無いのです。
この子どもたちの視線の先が、全員同じところで焦点が合っているのです。全員が同じ問題について、同じぐらい真剣にでも楽しそうに考えている。その集中した雰囲気が、一切の雑念を追い払っていきます。
こうしたクラスに足を踏み入れると、私は緊張します。足音を立てて、彼らの思考の糸を乱してはいけないと。(でも、音がしようがしまいが、彼らの集中はまったく変わらないのですが......)
いつまでも、ここにいて一緒にこの澄んだ空気の中にいたい、そんな思いを感じます。
どうやったら、他のクラスがこうした澄んだ空気になるのか、私の授業がこうした澄んだ空気になるのか、考えさせられます。
まずは、じっとまって、濁った水が澄んだ上澄みと泥とに分かれるのをまって、それから、そっと上澄みだけをとって、大事に大事に。。
掲示だってすごいのです。まるで大きな発表会の中心授業の会場のようです。
教師の中には、子どもたちの無駄な声、机や椅子を動かす音、教科書や鉛筆を落とす音など、気にならない教師がいますが、絶対にダメだと思います。
この場合教室の空気がクリーンでい澄んでいるということは、その授業が一つの方向性があり、集中や統一性があるからでしょう。そして、そういう教室は、必ず子どもたちが、課題に対して深い思考をしたり、真剣にノートをとったり、みんなでつぎつぎと新しい問題を発見しているときなのです。
このような教室の空気は教室だけでなく廊下にまで伝わってくるものです。これらの事実は、教師全員が共有しなければならないことだと思います。