
楠戸家住宅の前からブログを続けます。

黄色の線に沿ってウォーキングします。
この通りを、かなり東の端までやってきました。


東町という表示が見えます。ここら辺りは少し人が少ないように思えます。

石の道標がありました。
なんとか読んでみました。"右 由が山下津井下村あらわず観音寺“ 違っているかも。
ここは旧街道沿いと考えられます。
ここから、もときた道を西へ戻っていきます。

これだけ古い町並みが残っているのは、保存する地元の人の苦労もたいへんだったと思います。

なんともいえない雰囲気があります。”MuNi“とは。
どんな店なのでしょうか。
イタリア国旗。イタリア料理店か。
この通りを、ずっと戻ってきて、森田酒造を過ぎたすぐ次の筋を左に入りました。

右に見えるのは、「倉敷一陽窯」。備前焼を扱う店です。
ここら辺りまで戻ってくると人も多くなりました。


通りをふりかえった風景です。
この通りを先へ進んで行くと、「倉敷アイビースクエア」がありました。

江戸時代の代官所跡に、明治22年に倉敷紡績創業の工場がつくられました。
今は、ホテルを中心とした複合観光施設になっています。
中に入りました。

手前の井戸は、代官所時代のもの。
向こうの洋館は「オルゴール ミュゼメタセコイア」、アンティクのオルゴールコンサートを楽しむ博物館ですが、今はコンサートはやっていないみたいです。
100年前の音色が心を癒してくれていたそうです。

「倉紡記念館」。クラボウの創設80周年の行事のひとつとして建設されたそうです。
当時の原綿倉庫が改造されました。
奥の方へ入って行きました。

ホテルの施設とレストランがあります。

ツタがすごいですね。ツタのことをアイビーと言います。
倉紡の工場が明治22年につくられたとき、最先端のイギリスの技術を導入しました。
なにもかもイギリス式で、壁のレンガの積み方、工場のノコギリ屋根。
ただし、屋根角度がイギリス式では、直射日光が入り、高温になるので、それを和らげるためツタをはわせました。
しかし、結果としては、美しい町並みができることに。
門の手前に、「児島虎次郎記念館」がありました。

大原美術館の絵画収集に活躍した、洋画家 児島虎次郎の代表作品を展示しています。
建物は工場付属倉庫。
ここでウロウロしていると、若いカップルが二人で写真を撮りあっているところにそうぐうしました。
その姿を見て、なんとはなしに、ほのぼのした想いにひたっていると、この二人に写真撮影を頼まれました。
こころよく、撮影しました。すると、私も撮ってくれるとのこと。
嬉しくなって、お願いしました。
旅先で、自分の写真を撮るのはめったにないことです。
少しここで、休憩をとりました。
ブログは次に続きます。