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案内図です。
次は、「西川家別邸」(案内図C4)に行きました。
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北多摩郡屈指の製糸会社を設立した西川伊左衛門の隠居所であり、接客にも使われた別邸です。
安政6年(1859年)に横浜港が開港されましたが、製糸は日本の最大の輸出品で、養蚕、製糸業は盛んになりました。
伊左衛門が、明治26年(1893年)に設立した西川製糸は、時流に乗って多摩地方の屈指の製糸工場となります。
その製品は大正15年に、アメリカのフィラデルフィアで開催された博覧会で、高品質を認められます。
多摩地域の養蚕、製糸業は、大正期から昭和初期にかけて最盛期を迎えました。
その時期に建てられた別邸で、よく吟味された部材が使ってあります。大正11年の建築。
家の中を見学できました。
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客間と座敷、居間の外周りをぐるっと囲んでいる廊下です。
この家は、接客用の部屋と日常使う部屋を分けた、当時の住宅建築での主流をなした造りとなっています。
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このガラス戸も、当時の雰囲気がよく表れていると思います。
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庭、廊下、部屋の関係がよくわかります。
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次は、「伊達家の門」(案内図C5)です。
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旧宇和島藩伊達家が東京に居住するために建てた屋敷の表門でした。
大正期の建築です。江戸時代のものと想像してもおかしくない雰囲気を持っていますね。
片番所を設けた大名屋敷の格式で建てられています。
片番所とは、番所が片側に一つだけのものをいいます。
両番所を設けられるのは、外様では10万石以上でした。
宇和島藩伊達家は、初代仙台藩主伊達政宗の長男の伊達秀宗が、将軍徳川秀忠から伊予宇和島藩を与えられたことに始まりました。
門柱の上の冠木には、宇和島藩伊達家の家紋「竹丸に雀門」が施されていました。
最後は、「皇居正門石橋飾電燈」(案内図⑤番)です。
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皇居前広場から皇居へ向かって左手前に見える石橋に設置されていた飾電燈でした。
石橋は長さ約35m、幅約13mで、江戸時代にあった西の丸大手橋と言われる木の橋に替わって明治20年にかけられたものでした。
充分見学できたので、ここから、たてもの園の外へ出ました。
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たてもの園の前では、陶器市だと思いますが、沢山の出店が出ていました。
今日、昼前になりましたが、ここから、4泊5日の関東旅行を終えて、播州赤穂に戻りました。