ウォーキングと旅行でのひとり言

ロマンの旅 山形 その14

本間家旧本邸から出てきたところです。





ここから、「旧鐙家」の方へ向かいます。





地図の黄色の線に沿って番号順に歩きました。

(今は⑤番の本間家にいます。)





この道をまっすぐ先へ歩いて行きます。

右に見えているのは、本間家の塀です。


少し先へ歩いたところから、本間家の方に振り返ったところです。





この辺りで、奥の細道に関した説明標柱を見つけました。

玉志近江屋三郎兵衛宅跡と記されています。





芭蕉は酒田を去る前夜に、近江屋三郎兵衛宅の納涼会に招かれて、即興の句「初真桑四にや断ン輪に切ン」を詠みました。


( ”はつまくわ よつにやきらん わにきらん” 真桑はマクワウリ、初物だったそうです。とにかく、芭蕉は瓜が好物……。)




もうちょっと先だと思います。





酒田市役所?…………。

道路の向こうに見えました。





「旧鐙屋」にきたようです。





中に入ります。








案内図の、入り口から入ってすぐ右手の”店”と記されたところです。





左手の方にハッピがかかっていますね。

これを着て、記念撮影ができるようです。





米俵





ぜひ、これをかついでみてくださいと説明の人に勧められました。

(米は入ってないようです。)

肩当てにご使用くださいと、タオルが置いてあるのがこっています。








屋根の上に石がぎっしり置いてある模型です。





石置杉皮葺屋根

ここの屋根が、こうなっているとの説明です。

江戸時代の階級社会では、瓦を使うことができたのは神社・仏閣と武家だけでした。

石を置くことによって耐火性が格段に良くなったそうです。





奥の方へ入って行きました。








中の間














茶の間





台所





鐙屋は酒田を代表する廻船問屋です。

江戸時代を通じて繁栄しました。

本姓を池田と言ったそうですが、慶長13年(1608年)に領主の最上義光から「鐙屋」の屋号を与えられ、その後は鐙屋惣左衛門と称するようになりました。

酒田三十六人衆として、町年寄役を務め、町政にも重要な役割を果たします。


鐙屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」にもでてきます。



弁財船の模型があります。





安土桃山時代から江戸時代、明治にかけて、日本での国内海運に使われた大型木造帆船です。

ちなみに、この船が北前船として使われました。






庭の方へまわります。





井戸





下屋というのでしょうか?…………。





土蔵が見えてきました。






土蔵の前で、少し休憩します。
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