★★★追記★についての追記を一番下に載せています。写真一枚だけです。
★★再追記を行いました。一番下です。
★一部の内容を追記しました。かなり下の方です。追記のみ行い、削除、編集はしていません。
引き続き、6日午前、水道管を確認すると、洗濯機の出口が半分凍っていて、出が悪かったのですが、流し続けることで完全に開通しました。気象庁の記録によると、-2度以下レベルが11時間と長く、-3度レベルは9時間、-4度レベルは2時間でした。まあまあの冷え込みです。最低気温-7度は過去にありました。この先一週間はそれほど冷え込まない、とのグーグル先生の予報です。
ストレッチしながら、家の巡回中(ヘルニア前に懐中電灯を紛失して、もう一か月くらい探し回っています。家のどこかにあるはずですが未だに行方不明です。夕方以降、暗くなった時に、後述のチャジコンを見て、2つのバッテリーの電圧確認と充電先の切り替え、冷凍庫の出力調整時の必須アイテムなのです。今は予想と巨大懐中電灯でしのいでいます。昨日、予備を買い忘れました。)に重大トラブルを発見、ウチのソーラー発電関係の異常です。おそらくチャージコントローラの不具合のようです。一万円程度の安物だったしなあ。日差し的には6Aは出るはずだけど、表示は1A。バッテリー電圧も上がっているはずだけど、夜のレベルのまま。どこがおかしいんだろう。チャジコンだけではない嫌な予感がします。とりあえず、チャジコンをリセットしました。
人間にも機械にも、必ず寿命はあります。ヤン・ウェンリーの言葉に、
「生きるということは、他人の死を見ることだ」
というものがあります。
この小説では主要な登場人物の多くが、天寿を全うできずに亡くなります。作家の田中芳樹先生も自分の登場人物を殺すのは辛かったと思いますが、作品の思想を表現するための決断だったと確信しています。
残酷ですが、初診時に下った獣医からの心臓病診断、および余命はもう長くはないとの宣告の通り、もう5,6歳のつばさは数年以内に死ぬでしょう。いままで不幸だっただろう分、幸せに生きて、そして看取るまで私が守ります。これを書きながら号泣してしまいました。校正時にも泣きました。数少ない読者のみなさんの中にも、この間にご不幸があった方もおいででしょう。
心の底から、お悔やみを申し上げます。
最近、つばさシリーズとヘルニア治療シリーズが混ざってきています。これは根っこが同じだからです。究極的には、つばさシリーズはつばさの命を、ヘルニア闘病記シリーズは私の命を守るためのものです。私が死ぬと、つばさは生きていけません。だから、私は死ぬわけにはいきません。混ざって当然だと私は考えています。
中学生以降、自分は涙を一切流さない人間でした。なのに「どうして、こんなに涙が出るの」でしょうか。プリプリのMです。こんな時にもネタを忘れない芸人の見本のようです。タイトルもエヴァネタを欠かしません。ちあきなおみの名曲「喝采」を再生しています。泣きながらこんなことを書くなんて、客観的に見て、きっと私はおかしいのでしょう。顔が前を向かないようにと頭やや後ろに置いた2枚のタオルが役に立ちます。
★冒頭にお知らせした追記です。
上は芸人を貶める意図は全くなく、実際はその逆です。入る時に「親の死に目に会えると思うなよ」と凄まれる業界は複数あります。「喝采」を聴いていただければわかりますが、演劇や歌謡など、エンタメ業界の舞台物もその一つなのでしょう。
落語家を始めとして、芸人は芸事に命を懸け、親不孝と知りつつもそれに専心没頭しないと上手(うわて)には立てないのです。親にご不幸があった後、果たして彼らは後悔するのでしょうか。私にはわかりません。
逆に数少ない読者の方には一緒に考えてほしいのですが、後悔をしない人間なんて居るのでしょうか。居たら物凄く傲慢な人か、大変幸運な人のように感じます。でも、後悔しないような生き方をする努力をしている、という人ならたくさん知っています。そのような人を私は目指したいです。追記は以上です。★
以前、知人に言われていました。私のある発言に対して「いやいや違うよ、そうは言っても情は移るものだよ」と。あれはとある駅、とても寒い夜のホームでの事でした。知人の予言通りでした。
しばらくして(この機械は少し反応が遅いのです)確認すると正常動作に戻っていました。ほぼ同時に私もです。しかし、これは前兆ですね。対策となる作戦を考えておかなければいけません。リアルメモ化して、モニターの縁に貼りました。冷凍お肉が全滅すると、金銭面で大損害&食材欠乏となり、今の健康的な食生活が維持できません。昨日買った牛肉も無駄にしたくありません。重大事態です。なお、マイナス12度まで冷える冷凍庫なので、一般家庭用よりも長期のお肉保存が可能です。加工肉ならさらに伸びます。あ、お隣さんから貰ったウインナーを朝食に食べるの忘れてた。昼前だけど、調理しながら食べよう。
★★ここから再追記です。
上で、つばさの事を「いままで不幸だっただろう分、幸せに生きて、そして看取るまで私が守ります。」他、色々と書きましたが、これらには重要な視点が抜けていました。
それは、「わたしもつばさに守られている側の存在だ」という事です。つばさから貰ったものは数えきれないし、その質をまだ十分に私は理解できていません。まだまだこれから、多くの戦いと喜びが我々を待ち受けているのです。再追記は以上です。★★
★★★産経新聞からの切り抜きです。追記★のご参考になるかと思います。