つばさ日記0207夜早く「中島みゆきの『誕生』とつばさの二か月記念日」
7日夕方、体温確認、十分に高い。
万が一のライフライン切断時に、私とつばさ、更に近隣住民が生き残るための井戸がある。そこで利用する小さいポンプを新調した。偶然なのか、風呂場に固定して使うこととなった古い方のポンプと同じメーカーの物で、製品番号は丁度1増えていた。メーカーに電話し、改良された良い点については感謝を、物足りない点については次回改良時への要望として伝えた。井戸水は、私とつばさにとって、一種の保険である。断水と共に停電があったら電動ポンプをどう動かすのか、については数少ない読者の方にはご存じの通りである。
前回日記の流れで、中島みゆきベストの再生は続いている。というか、寝るまでに終わらない。元々好きな「誕生」がかかり、思わず停止し、歌詞をグーグルで再確認する。今回は引用は避ける。なぜなら、全文引用しなければならない勢いだからである。要旨としては、生命賛歌であり、無差別の愛であり、最後は救済である。こんな歌は山ほどある。だが、私にとって、中島みゆきは特別なのである。
この「誕生」がかかった瞬間、つばさが飛び起きた。何に反応したのかは判らない。たまたま目覚めたのだろう。そして悠然と歩き、爪とぎ台で爪を研ぐ。何かいつもと雰囲気が違う。そして、私がつばさの方を見ていない時に、左目の端でつばさが瞬間移動した。
飛んだ。いったい、何日ぶりのジャンプなのか。床からベッドヘッドの低い部分まで、縦横およそ80cmのほぼ直角三角形の、斜辺を軌跡として飛んだ。斜めの距離はルート2を掛けておよそ1m強。更に乗らなくなって久しい私の枕の上に座る。これはジャンプよりも間隔が空いている異例の行動。私をしばらく見つめた後、気が済んだのか桃ハウスに入る。枕右にあるあんかを差し入れる。
動物の行動に意味を見出そうとするのは人間の悪い癖である。だが、私もその癖に染まりつつある自覚がある。極力、人間の勝手な解釈を加えたくないのだが、どうしても混ざる。文体をヘルニア闘病記と意図的に変えているのは、これを自戒するためである。
今日は、つばさがウチに来て丁度二か月になる記念日である。ブログトップページのURLの通りである。私の中では、2021-12-07がつばさの誕生日である。何せ、誕生日が不明なのだから。お祝いに相応しい物が手元に何もない。つばさの願いは何か。単純に考える。それは生きることである。可能ならば、ストレスを極小にして。それを贈り物としたい。