夫の母の介護に私は参加をしていない。
介護が必要では?の状態になったときに
夫が色々と聞いてきたので私の分かる範囲で答えた。
私の出番があるのではないかと心の準備をしていたのだけれど・・・
お姑さんと夫は普通の親子と少し違う。
夫は母親に育ててもらっていない。
謂わば捨てられたということらしい。
妹さんもそうだと思っていたら、どうやら夫だけ
母親の里で育ったらしい。
そして、私とお姑さんの関係も。
私はお姑さんと会ったことがない。
会いたいと言ったのだけど、「変な人だから会わない方が良い」などと言われて月日が流れた。
夫は、母親と会うことをしなかったし、電話も年に1・2度程度。
時々私が「お母さんとはちゃんと向き合った方が良いよ、お母さんの為じゃなく
あなたのために。あなたが後悔するよ」と言うと五月蠅いといつも叱られた。
数年前にお姑さんは認知症になった。
だけど、病院に行っていないので確定ではない。
聞いた感じからそう思う。
ただ、今は受診させることも施設を検討することもないようだ。
有難いことに腰痛があるという以外は食欲もあり元気そうなので、自宅にいる。
週に2回の買い物にいってくれるヘルパーさんと妹さんそして夫が
ローテーションで食事の世話をしている。
何度も私にできることがあれば。と言ったが
「知らない人がいきなり現れたらパニックになる。お前も傷つくから」と断られる。
あんなに嫌っていた母親。
今は、甲斐甲斐しく通う。
「息子が来てくれんのんよー冷たいコなんよー
お金を持ちだして娘も出て行ったっきりなんよー」
目の前にいる息子を息子だと思わず、自分の弟だと思っているようだ。
「それは、いけん息子じゃねー」と言ってあげるらしい。
「まぁー、昔のことを一言一句、間違えんで、話すんでー毎回毎回
ある意味すごいよの」と笑う。
私が9年間、母親の介護ができたのは、母親が私を娘だとちゃんと認識をしていたから。
もし、そうじゃなくなったら悲しすぎて逃げたかもしれない・・・自信がない・・・
夫は親子の間で距離があったから、母親の愛情を一心に受けられなかったことが
逆に冷静でいられる要因なのかもしれない。
認知症になって自分が息子だとわからくても、
それ以上に自分が捨てられたと思う悲しみの方が大きいのだろう。
だけど、そうであっても私は夫を尊敬する。
同じ話を延々と聞かされてもイラついて遮ることなく耳を傾ける。
そういったことは身内では中々できないと思う。
そこにはやっぱり愛情が存在する。
夫の場合、母親が認知症になったことで逆に距離が縮まった気がするのです。
介護が必要では?の状態になったときに
夫が色々と聞いてきたので私の分かる範囲で答えた。
私の出番があるのではないかと心の準備をしていたのだけれど・・・
お姑さんと夫は普通の親子と少し違う。
夫は母親に育ててもらっていない。
謂わば捨てられたということらしい。
妹さんもそうだと思っていたら、どうやら夫だけ
母親の里で育ったらしい。
そして、私とお姑さんの関係も。
私はお姑さんと会ったことがない。
会いたいと言ったのだけど、「変な人だから会わない方が良い」などと言われて月日が流れた。
夫は、母親と会うことをしなかったし、電話も年に1・2度程度。
時々私が「お母さんとはちゃんと向き合った方が良いよ、お母さんの為じゃなく
あなたのために。あなたが後悔するよ」と言うと五月蠅いといつも叱られた。
数年前にお姑さんは認知症になった。
だけど、病院に行っていないので確定ではない。
聞いた感じからそう思う。
ただ、今は受診させることも施設を検討することもないようだ。
有難いことに腰痛があるという以外は食欲もあり元気そうなので、自宅にいる。
週に2回の買い物にいってくれるヘルパーさんと妹さんそして夫が
ローテーションで食事の世話をしている。
何度も私にできることがあれば。と言ったが
「知らない人がいきなり現れたらパニックになる。お前も傷つくから」と断られる。
あんなに嫌っていた母親。
今は、甲斐甲斐しく通う。
「息子が来てくれんのんよー冷たいコなんよー
お金を持ちだして娘も出て行ったっきりなんよー」
目の前にいる息子を息子だと思わず、自分の弟だと思っているようだ。
「それは、いけん息子じゃねー」と言ってあげるらしい。
「まぁー、昔のことを一言一句、間違えんで、話すんでー毎回毎回
ある意味すごいよの」と笑う。
私が9年間、母親の介護ができたのは、母親が私を娘だとちゃんと認識をしていたから。
もし、そうじゃなくなったら悲しすぎて逃げたかもしれない・・・自信がない・・・
夫は親子の間で距離があったから、母親の愛情を一心に受けられなかったことが
逆に冷静でいられる要因なのかもしれない。
認知症になって自分が息子だとわからくても、
それ以上に自分が捨てられたと思う悲しみの方が大きいのだろう。
だけど、そうであっても私は夫を尊敬する。
同じ話を延々と聞かされてもイラついて遮ることなく耳を傾ける。
そういったことは身内では中々できないと思う。
そこにはやっぱり愛情が存在する。
夫の場合、母親が認知症になったことで逆に距離が縮まった気がするのです。