月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

思い出を交えて!

徒然なるも未来に希望を託し随筆を嗜む

俳句、音楽を添えて

プラス思考とその対極について

2011年10月28日 10時39分48秒 | 日記
本日10月25日(火)は晴天でした。記念すべき一日でした。

尊敬する方からメールが届いたからです。

二週間程前にその方の時事問題についての本の感想を書いてメールを送っていましたがそのお返しの返事でした。

私はしばらくじっとディスプレイを眺めていましたが実際、紛れも無くその方からの便りでした。

「幸せ」を感じました。

一閃の光のように。




「人生」と云う(大きなタイトルは顔に似合わないのですが)苗木から大木になる節目には、

忘れ得ぬ人々との出逢いがあり、また貴重な本に遭遇する時があります。

本日は「プラス思考」について書こうと思います。



プラス思考・・・何故か気になる言葉です。温かみを感じますね。

良い朝の迎え方で朝食の時に「パンがいいですか?ごはんがいいですか?」の問いに、

「パンいいです」と応えるのと「パンいいです」と応える事。

同様に「コーヒー?、紅茶?、お茶?、麦茶?どれがいいですか?」の問いに、

「麦茶いいです」と応えるのと「麦茶いいです」と応える事。

自分の目的はどちらでも達成しています。

しかしものに対する考え方が違います。

いいです」と応える人はパンや麦茶を粗末に扱っていませんか?(笑)

朝ごはんや朝の飲み物たちに対して幸せを感じるか否かです。

」ばかりを日常の生活習慣にしている人と、

」ばかりを使いながら人生を進んでいる人の差は雲泥です。と有りました。


一休みしましょう。
洋楽より「汚れなき戯れ」をどうぞ。
マルセリーノの歌(日本語版) La Cancion de Marcelino (in Japanese)


愛と青春のシネマ年鑑(2)哀愁のヨーロッパ映画ベスト
ソニー・ミュージックハウス



思い出すと私は前者でした。

何故なのか? 

「聖書」の教えが閃(ひらめ)いて来ますが、それには,

このものの考え方もマイナス思考と云う事も書いてありません。

「聖書」ではどんな事も耐え忍ぶ事を説いています。

それは、キリストが全人類の罪を一身に背負って、

あの十字架に架かって息を引き取った事が書いてあるからです。

ですが人間はそんなに強く、賢く、美しく生きられないと思います。

生きている間には様々なことがあります。

耐えられるだけ耐えていくと次第に服従する様になってしまうと思います。

ほとんど諦(あきらめ)の心境になってきてしまうのでは。

自分はこれがしたい、あれが欲しいと思っても、

それが肉による欲なのかどうかを吟味(ぎんみ)するようになります。

信仰を持つとは、肉の欲を避(さ)ける事であるからです。

「欲との戦い」

この「欲との戦い」の結果から、自分を否定した人間が出来上がる。

こういう人は一般の人から見ると異質で変わった人間性の持ち主とみなされます。

社会的には「主」というよりも「従」のような立場におかれる人達になる思います。

かつて、宗教革命以前の修道院にはこのような男女が大勢いたと思われます。

彼らの中には年頃になって「結婚」したくても出来ない人たちがほとんどと言う程いたのです。

その人達の気持ち、解る気がします。

勿論、「聖書」では表向き「結婚」を認めています。

しかし修道院の中では男女の交際は認められていませんでした。

ですから、マルチン・ルターの宗教改革は必然的に起こったと思うのです。


昔、遠藤周作さんが狐狸庵(こりあん)先生と呼ばれていた頃、先生がそのお父さんによって、

カトリックの洗礼を受けた事を、後のち、

思い出しては後悔の念を抱いていたと語っていました。それをテレビで見ました。

先生はあるいは私とは違った面でその意思を表明していたのかもしれません。

当時、私は著書「沈黙」をよく理解していませんでした。沈黙とは何かは?でした。

これに反して、キリスト者として、終生、その信仰を貫いた為に、

死ななければらなかった女性の一人に細川ガラシァがいました。

彼女は明智光秀の娘で細川忠興(三斎)の妻でした。

NHKのドラマで見ましたが、彼女の最期は壮絶でした。



史実を知ることによって日本では吉利支丹は排斥されたことを知りました。

それは「聖書」が純然たる宗教の場を超えて政治と関わり合って、

アフリカ、印度、東南アジアの人々を奴隷にし植民地化する要因を持っていたのを、

歴代の日本の為政者達、武士達は数々の事件を通して知ることになった為でした。

その為に日本では切支丹は売国奴(ばいこくど)とされ、キリストを信じる人は、

困難の続く果てが悲惨な結果になりました。

これをキリスト信者は迫害と呼ぶけれど、

売国を目的にする者を排斥するのは当然の事だと考えます。


私は47歳頃になって、或る事件がきっかけで聖書から離れました。

それ故、こうして、この文を書いていますが、

もう聖書と共に歩こうという気持ちにはなれなくなりました。

生きていくのに、変に自分を卑(いや)しめ、

堂々と胸を張って生きていく自信が持てなくなってしまう危険性を有しているからです。

また学校で教えられるのは大東亜戦争でさえ日本が先に米国に戦争を仕掛けたと言う事ですから

簡単に自虐史観(じぎゃくしかん)に陥(おちい)ってしまったのです。

ここからは大東亜戦争の真実を知っている人は読み飛ばして⇒ A に進んで下さい。





※1)ここで少し、第二次大戦について書きます。

1939年(昭和14年)9月、ドイツがポーランドに侵攻したところから第二次大戦が始まりました。

この時点では日本も米国も開戦していません。ところが40年、ドイツはパリを占領、

フランスを降伏させ8月からはイギリスを空爆開始、41年6月にはソビエトに侵攻。

41年中頃にはドイツ軍はヨーロッパの大半と北アフリカの一部を占領するなど

圧倒的な優勢を保っていました。


もう一つ重要なのは中華民国です。日本軍の攻撃で首都南京は37年12月に陥落、

どんどん中華民国政府は四川省の重慶への疎開を余儀なくされていました。

イギリスのチャーチルも、ソ連のスターリンも中華民国の蒋介石(しょうかいせき)もみな

兎に角、早く米国に参戦して貰いたかったのです。当時米国はすでに世界最大の工業国

になっていましたので、米国の兵隊を送ってくれなければ彼らは各個撃破(かっこげきは)

でやられてしまうというところまで来ていました。ですからみなルーズベルト政権に対して

第二次大戦に参戦してくれるよう働きかけていたのです。

スターリン、チャーチル、蒋介石にはルーズベルトとの深い関係があった、

ことは是非覚えていて下さい。

ルーズベルトは米国の大統領ですが冷酷な独裁者スターリンには特別の親しみを持っていました。

彼の側近やブレーンにもソ連のスパイやシンパ(共鳴者)が山のようにいました。

彼は社会主義こそが新しい時代のトレンドであると考えていましたので、

スターリンと世界観が一致していました。

忘れてはいけないのは蒋介石は夫人である宋美麗(そうびれい)を

米国に送り込んだということです。

彼女は浙江財閥(せっこうざいばつ)の当主(宋嘉樹(そうかじゅ))の三女でした。

その財閥の金を米国のあちらこちらにばらまきコネクションを作り、

ルーズベルト大統領の妻エレニアと親密な関係になったことや

アメリカ全土をまわって英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けました。

このとき、蒋介石は米国内のキリスト教会を煽(あお)って、

「日本は悪者であり、チャイナはその可哀想な犠牲者である。」という

プロパガンダを米国中に広めています。

こうして戦中反日になった教会関係者は多くいました。

地方にはグッド・クリスチャンの信者が多くいます。

その人たちが、聖職者から「日本人は悪い奴らだ」「チャイニーズはかわいそうだ」

という話を聞かされるとそんな嘘の話でも当時は疑いを持たれること無く

米国社会に浸透していきました。

もうひとつ重要なのはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの

母親サラ・デラノの家系であるデラノ一族は、

19世紀からチャイナ貿易で財を成したファミリーだったことです。

彼らは米国で大陸横断鉄道建設の労働者をチャイナから苦力(くーりー)と

呼ばれる労働者をいっぱい連れて来て酷使しました。

奴隷同然の過酷な労働をさせるために阿片(アヘン)が売られていたと言われています。

阿片とチャイニーズ労働者に関わっていたのが

ウォーレン・デラノというフランクリンの祖父でした。

彼の家にはチャイナの古い美術品がいっぱい有ったそうですから

チャイナ贔屓(びいき)になるのは当然だったと言えるでしょう。




※2)私はここで言いたいのは。大東亜戦争を引き起こしたのは、

米国大統領、ルーズベルトの「戦争を始めたいという狂人(マッドマン)の欲望」であった。

と言う事が明らかになったことです。今になって解ったことですが、

戦前の我が国の中枢を占める主要な人物がことごとく悲劇にあったと言う事です。

戦前の平和な日本の様子は70年程を経た今日、ようやく日の出を迎え、

史実が次々に甦(よみがえ)って来るのです。

先祖を敬ってきた日本人の歴史、文化、伝統が再び甦った思いです。






⇒A

私はそれらに対し「プラス思考」という考え方があるように思いました。

今日では「プラス思考」が具体的に良い結果を得ることが出来ることを

多くの知識人によって明らかになっています。

私もこの「プラス思考」で行きたいと思っています。


一休みしましょう。
レーモン・ルフェーブルから「シバの女王」をどうぞ




人生は一度だけです。私は「プラス思考」と言うことを考えて見ました。

プラス思考とは何事においても、きっとうまくいくさ、

何とかなるものだなと良い方向に考えが向くこと。

特に、悪い状況の中でも前向きに考えること。物事を肯定的にとらえる考え方。とある。



ではどうしたら現状を原点として今後を前向きにプラスに持っていくか?

私はどうしても帰らぬ昔を引きずってしまう。(これがマイナス思考だなぁ)

このままでは駄目だ。



私も幸せになりたい!

その為に、

次のⅠ、Ⅱを実践しようと思いました。



Ⅰ.夢を叶える事が幸せの一つだとしますと


  悔いのない一生を過ごすために、自分に正直になる

  夢が叶えられたらと心に描く    (最初は小さな夢を)(発心)

  小さな夢を実現しやがて大きな夢を (自分だけでなく多くの人が幸せになる夢を持つ)

  実現に向けて行動する



夢が叶う法則は次の3つとある。

①毎日夢を確認し続ける

②具体的にイメージ、想像する(胸が高鳴るくらい)

③具体的に動いて進んで行く






Ⅱ.好きなもので自分の周りを囲むことが幸せの一つだとすると


  身の周りのすべてをよく観察する

  (ごはんからおかず、茶碗からお箸、時計から服装等一切合切を観察する)

  良く観察するとそれがいとしく感じる

  (好きなものとはその対象物から愛されているものだと思った)

  ものを大事にすることがそれらから愛されることになる

  好きなことや好きなものをいっぱい身の周りにつくる

  人生を楽しむ




嫌いなことだけしている程人生は長くない!

人生を楽しむ事が出来るのは素晴らしいがその基礎を築くのは容易ではない

こう考えるのは何か偉い人物になりたいと思っているからだろうか?

そうかもしれない

でも私は貧しくても幸せになることが出来るような気がします

この日本なら。

否、否、清貧に生きればきっとお金にも恵まれるのが、

日本だと思えて来た

しかし、どんな仕事に就こうとも楽しくないと続かないだろう

楽しくないものを楽しく出来るのはプラス思考が身に付いている人だろう

とにかくプラス思考の出来る人は羨ましい

「バラ色の人生」かくの如し

自分にも出来そうなのは「楽しさ」を感じる事かな

毎日を楽しくする為に「楽しさ」をいっぱい発見しようと思いました。



山河や 緑の風の サイクリング


備考
ここで2曲の洋楽をYOUTUBEより聴いて頂きましたが私は現在キリスト教には無関係の者です。
音楽として、その旋律或いは歌詞その物を知ることは人生の励みになることと思いました。
あしからず。








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千波湖の畔で

2011年08月25日 16時16分23秒 | 日記
人生と言うことを考えますと・・・そう言う歳になりましたが。・・・(失敗が多かったです。)

しかし、決して人生を諦めてはいません。ですので私の轍(てつ)を踏まないで頂きたいのです。

私も悲しみの中に居た時がありました。

ですが、この日本には悲しみの胸に食入る、希望の唄、

四季折々の自然のものが重なって出来た美しい旋律が多くあり、

それらに励まされ生きて来ました。・・・何か恥ずかしい気持ちですが。

クラッシック音楽も良いですが、

日本には良い曲が沢山あります。具体的に申しませんが、音楽だけではなく、

美術、文学など芸術一般において、日本の文化人の優れた表現は随所に見られます。

魚や野菜の自然の持ち味を生かした料理法など日本だけしかない食文化も同様です。

若かった時はそれが解りませんでした。歳をとる程に日本が愛(いと)おしく感じられて来ます。


・・・・・     ・・・・・。

そう。あれは私が19,20才の頃だった。私は当時バスの中でこの場所と同じ処を眺めて居た。

乗合バスは北から南へと移動していました。

黄昏時だったので千波湖に生えていた葦が湖に紫が勝って黒っぽく映っていました。

湖は太陽で青白く輝き黒っぽい葦がその面(おもて)を劈(つんざ)いて居る様に感じられた。


これは現在の湖畔ですが当時(季節は冬)は白鳥の面影は無く荒涼とした湖だったと記憶しています。






「もうだめだ、これで二度目だ。」心底そう思っていました。



当時、私は米国から日本に入って来た新しいビジネスに夢中でした。

宣伝も実績のある信用の出来る雑誌に掲載されているしその内にテレビ宣伝も始まると言う。

私は今は違うが幼い頃から米国や西欧のいわゆる西欧贔屓(せいおうびいき)な人格の持主であり、

在来の日本型の営業に無頓着な性格でした。

当時、私にとって米国は最も信頼できる国でした。だから商品が化粧品でしたがなんでも良かった。

商品については日本人に安心して使用出来ると宣伝されていました。

商品とはお客様に買って頂く物であり売るものではないと言う商いの考え方も、私自身、

聖書を信じる者でしたので、そのビジネスの虜(とりこ)になっていました。



もう内容は忘れましたが「巨富を築く十三の条件」と言う本も読みました。




このビジネスの特徴は在庫品を持たなくてよい事。問屋、大問屋にはお金を出せば成れる事。

やる気を出して販売実績を出せば日本式ではないが重役や社長にも成れる事でした。

第一、商品は自分で製造するわけではなく会社が提供して呉れます。だから販売すれば利益になる事。

しかも平社員から社長に成る為にも約200万円で成れる事は魅力でした。



ですが、学歴を重要視しないことは驚くと共に一抹の不安が過(よぎ)った。



休憩しましょう。暗い話なので明るい旋律をどうぞ。
三田明★美しい恋人たち★



「神の前には誰であろうと独りの罪人としか認められない。」と言う聖書の思いがあったから、

学歴とは人間を評価する上で神の前では無きに等しいものと感じていました。

とにかく理屈はどうであれ「好きな米国人が日本に運んで来たビジネスだ。」

「米国はキリスト教国であるから嘘などあり得ない。」とそう信じていました。

私はこのビジネスの形態と商売と言う事について熱い想いを抱いていました。




だから偉い人に会っても落ち着いてこのビジネスについて論じる事が出来ました。



ですが、実績は上がらなかった。商品も粗悪品ではなかったのでしたが。(自分も試供していました。)

製品に自信がありましたがなかなか商品は売れなかったのでした。

実際に月にどれほどの売り上げがあったか今は知る由もないですが良く見積もっても二,三万円だったろう。

だから交通費(当時はバスや電車が主流だった。)程の利益という事に気が付いた。






その頃、父が湯治場に泊りがけで行っていたことがあり、

そこで知り合ったと言う当時、理容院経営の笠間(現、笠間市)のIさんに巡り合った。

私も真剣だった。Iさんは話をよく聞いて下さった。

質問や疑問の無いように注意して細かく商法について話をした。

功を奏して、Iさんは私が一番上のクラスの大問屋(ゼネラル)に成ることを助け、

また自分の利益の為にも問屋(マスター)の販売権利金(当時のお金で八十万円)を

会社に支払ったのだった。

私はこの為に大問屋(ゼネラル)と言うトップクラス迄登りつめた。

そのため、後任のマスター(問屋)を父の弟に継がせる為の交渉に私は大阪へ行って商法を説明した。

遠くは大阪、東京、そして水戸市や笠間迄商談で出かけることも少なくなかった。




私がゼネラルの最高位に就いたので会社から100万円位の報奨金が出る事になりました。

だが、そのお金はもともと親が資金を出したものであり、また、当時、

二男(私は長男)が交通事故を起こした為、

現金は父が受け取り私が実際に見る事はなかった。

自分には入ってこない無縁なお金でした。

(が、家の為に働いた報酬金だと思った。)








そうだ。

当時、この会社が恐れていたのは「ねずみ講」と誤解される事でした。

実際に「ねずみ講」の被害に遭ったと謂う雑誌の記事もありました。

だから会社側は決して「ねずみ講」では無い事を強調していました。

ねずみ講とは無限連鎖講のことですが、

当時マルチ商法については国の規定がはっきりとしていなかったように思います。

だからこのビジネス、商法に商工会の方や踊りの先生も参加していたのです。

自分が懸命になって活動していたのはこのマルチ商法だったことが分かったのは、

この会社が独占禁止法に触れたからと聞かされ、会社が倒産して大分月日が経ってからでした。




ねずみ講の無限連鎖講とは、

江戸時代の吉田光由(よしだみつよし)の塵劫記(じんこうき)に、

出てくるねずみ算がもとになっています。

今や中学校の教科書に紹介されていますが数の解き方は高校の等比数列で習います。

参考にここに書き記します。

吉田光由の著した塵劫記(寛永8年、1631年)によれば、

ねずみ算は以下の様に記されています。

正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。

此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、

親ともに九十八ひきに成。かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、

まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、

十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。



現代語訳

正月に、ネズミのつがいがあらわれ、子を12匹産む。そして親と合わせて14匹になる。

このネズミは、二月に子ネズミがまた子を12匹ずつ産むため、親と合わせて98匹になる。

この様に、月に一度ずつ、親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産む時、

12ヶ月でどれくらいになるかというと、276億8257万4402匹となる。

ただ、この計算が成り立つためには、生まれた子がおす、めす同数であることが前提です。
 
問題の正月をn=1、二月をn=2、三月をn=3という様に歳月が過ぎn=Kヶ月後、総数S(K) は

S(K)=14×7^(K-1)  となり、この問題はK=12のときでS(12)=14×7^11です。

これを計算すると先の数になります。



これから解るように社員二人がこの問題の様にそれぞれ毎月12人の社員を増やすと、

12ケ月後には276億8257万4402人の社員が誕生することになる。

二年後、三年後と経過するとまさに無限連鎖です。

昭和五十年頃、このマルチ商法は未だ公に禁止されていませんでした。

マルチと言う言葉さえ知らずにいた私は新しい商法として受け止め、その拡充に努めていたのでした。




米国人はビジネスでは、販売実績、売上実績、如何に会社に利益を還元出来たかを重要視し、

金銭がベストである様に考える慣習があると思います。

実際、年金制度の無い国柄故に、齢をとったら金銭だけが頼りになってしまうという思いがあるのでしょう。




休憩しましょう。明るい詩はいいですね。希望のある詩は・・・。
緑の故郷  石川さゆり






米国はプロテスタントの国です。

一体全体、聖書を信じる人、全知全能の神を信じる人にとっては、

極めて矛盾した生き甲斐の無い国だろうと思うのですが実際はどうなのだろう?




耶蘇教を奉ずる人にとってはビジネスに生きる人は、

すなわちサタンの奴隷であり嘘、偽りを言うこの世の人です。

この世の人とは神を信じようとはせずキリストの再臨後は地獄に定められた希望の無い人であり、

光よりも闇を愛する邪悪で高慢な人をいいます。

聖書では人は神を信じる人か信じない人かどちらかである事が書かれています。

信じない人の代表がビジネスマンと言ってもいいでしょう。

なぜならば金銭を愛するものは信者ではないからです。

極端に言えば耶蘇教を信じる者にとってはビジネスマンは罪人です。

その罪人と一緒に日曜日には教会に行って聖書を読み説教を聞き、

その神を賛美し礼拝し讃美歌を歌って献金し生活をともにしています。

ですが、そのビジネスマンが一生の間、未信者であって死んだとしても、

永遠の地獄に行ったことなど決して話題にしません。

 *(聖書には「キリストを信じない者は永遠の地獄に行く。」と記されています。)

ビジネスマンの方がキリストを信じて生きている人より明るく快活そうに見える。

「何か可笑しい!」と思った。





私はお金を稼ぐためにどれだけの人達に声を掛けただろう?

知人、友人と大勢の人に声を掛けたが売り上げは伸びずに只時間だけが通り過ぎて行きました。

私の組織下で順調に商品を販売し成績を伸ばして呉れた人にIさんがいました。

Iさんはある日、私にこう話かけた事が有りました。「テレビ宣伝は何時やるのでしょう?」

私も気にしていたことだったので集会が有った時に会社側に質問をしましたが、

残念にも、何月何日から放映するとの明確な返事はありませんでした。




やがて、会社に対する不信感が募って来ました。

それはこのビジネスに携わって来た人の多くが経験した事でしょうが、

働きに見合ったお金にならない事であったと感じます。

このビジネスを日本で開始する以前に、

米国の担当者達は十分に日本市場について検討して来た事は聞かされていました。

そしてこのビジネスに参加した私達は十分に会社側の意向を消費者たちに伝えて来たのでした。

だが、結果として消費者達を満足させるだけの信頼、信用性を与える事は出来なかった。

理由は様々考えられますが、会社の内部から湧き出た不信感が大きいと後になって思った。





私は思った。

「おカネとは?」


「おカネを得るとは?」


「会社とは?」


「商品とは?」


「おカネで出来ること?」


「おカネで出来ないこと?」


そもそも

「勉強とは?」


様々なことが浮かんできた。






会社の信用、信頼性に問題があるらしいが、


「だが、会社が信頼出来るなら成功するか?」


「本当にそうだろうか?」





(会社自体はよそ目には立派に見えた。)



(私はマスコミの情報操作がおカネで行われる危険性をその頃全く予想していなかった。)






様々な思いが交錯する中、私はそのビジネスから遠ざかったのだった。

それは父からの要望でもあり進学の方が大事だったという理由からだった。

ビジネスを中断して、また、予備校に通う事になった。

でも、心中、このビジネスを成功させるに至らなかった事は後々までも、

劣等感を抱かせる要因になった。

(学歴など気にしない方々が世に出て成功している事を知っていました。)

「・・・・・。」

「途中で辞めるなんて。」・・・(いつも何かに道を遮られる様な気がしていましたが。)


「・・・・・。」


「・・・・・。」



「これで二度目だ。」



「否、あぁ!」・・・思わず溜息が漏れた。

「・・・・・。」

「・・・・・。」

「・・・・・。」



この暑さの中で、青くしなやかに柳の葉が風にゆれている。

ふと我に返った。あの時、黄昏の千波湖を見つめていると、葦の枯れ葉が重たそうに垂れていた。

そればかりかゴミとも言える白い枯れ枝で水面は荒れていた。





そして今、夏だが、何かが異なっている。

昔、耶蘇教に走っていた時と。


・・・・・。

私の周りは欺瞞(ぎまん)に満ちていた。・・・・・。





思えば遠い昔の話ですがあれからマルチ商法の被害に遭った人は大勢いると思います。

商品の生産者から消費者への流通の革命とか言って、人から人へその勧誘の手を伸ばしていく。

昭和50年代は巷にいっぱい広がっていました。

この商法について詳細に述べる事が出来ませんが、

私も解ったのは友達や親戚などとの絆を壊されてしまう事があると言う事だった。

何のためにか? お金の為に。



お金は生きる為に必要なものです。生きるために皆、働いています。しかし、ともすると、

「お金がすべて」と云う価値観が社会の主流を形成する傾向があります。すると社会に混乱を招く。

混乱が混乱を産む。絆が破壊されることがある。危惧するのはこの事です。

「お金は手段であり、間違ってもそれが人生の目的であってはならない。」事を。




現在、コンビニやスーパー、それに対応すべく小売業までタイムイズマネーで凌ぎを削っています。

一般の企業も同様だと感じます。

落ち着く時間さへ無い様に見える。行き着く先が、米国や西欧とは違う、

日本式の社会の在り方を形成して欲しいと願っています。

明日に続く各社それぞれの戦いの中で。




備考

戦後のGHQがした行いは正しくない。知れば知るほど虚しい思いをさせられる。
私が現日本国憲法の早期改正を求める理由もここにあります。


青春の光を放つ天の川









ジャパネットたかた メディアミックスショッピング

Sirusi
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Twitterとブログの連携

2011年06月19日 07時37分35秒 | 日記

日比谷花壇 フラワーギフト 誕生日プレゼント 花

チケットぴあ



Twitterとブログの連携です。言いたい事が一区切り出来たためなのか、自分は今、ホットした気分に満たされている。

新しい話題をどこに見い出そうかと思い、思案中でブログは最近更新していません。

そんな中、トラックバック練習板にてTwitterの話が出てきた。

以前から名前だけは知っていたがどう言う機能なのか?

ともかく、練習の意味でも参加しようと思いました。

宜しくお願いします。

さて、俳句の話ですが、芭蕉が象潟(きさがた)(秋田県にかほ市の旧名、もとは入り江で八十八潟九十九島と言われた景勝地)に来て

中国、春秋時代の越の美女、西施に思いを馳せ、ねぶの花に譬えた句があります。

象潟(きさがた)や雨に西施がねぶの花 

雨が気になるこの時節、私も義経を偲んで詠んで見ました。

鎌倉宮 雨に静が 額の花




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朝の来ない夜は無い

2011年03月17日 16時02分20秒 | 日記
東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興を お祈り申し上げます。

雪の降りしきる中、余震に怯えている少年少女、途方にくれている方々に何と励ましの言葉を書いてあげたらいいのか?

ピンとした閃きがありません。が、どうぞ生きて下さい。何としても生きて下さい。

朝の来ない夜は無い私たち日本人の同胞が苦しむ姿は耐え難い苦痛です。

状況は良くなりつつあります。どうぞ今日という今を耐え忍んで下さい。未来のある少年少女のためにも!!


木漏れ陽の泉に光る新樹かな












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教育の礎について

2010年11月04日 16時55分54秒 | 日記
本日は「教育勅語」の教えが日本人にとって如何に大事かを考えて、原文、読み下し文を載

せておきたいと思いました。


第二次世界大戦の敗戦後、日本は連合国軍総司令部(GHQ)に占領されました。

彼らの中に日本を理解している人物はいなかった。日本の文化、文明についても国際法

についても素養があるとは思えない人々が日本国憲法の起草を手がけた。

その結果、生まれたのが米国が占領統治しやすいように作られた今の憲法である。

彼らの日本憎悪、侮蔑の念は徹底し、皇籍離脱、財閥解体、家族崩壊に及んだ。

そこで、家族についてですが、次のように指摘されています。

現在、日本の社会は家族を大切にしてきた長い伝統を持ちながらも、その伝統は戦後急速

に薄れてきた。現行憲法には極めて深刻な欠陥がいくつもある。

なかでも第三章「国民の権利及び義務」は一瞬たりとも許容しがたいと言ってよい程だ。

同章は日本社会を構成してきた家族を否定し分離し、個人をバラバラの存在として位置づ

けることを軸に構成されている。

日本国憲法が権利と自由を強調し、責任と義務を相対的に軽視していることが解る。

この構成の中で家庭と家族が分解されていくのである。

「家族」の役割や意義について書き込んだ文言は憲法の他の条項にも、基本精神を記した

はずの「前文」にもないのである。

憲法を読む限り、日本には個人は存在しても家族は存在しないことになる。

家庭の大切さを切り落とした日本国憲法は文字通り世界の異端なのである。



戦前は、家族関係を含め、心の部分を教える教訓があった。それを今は見かけなくなりま

したが、教育勅語だったと先達は教えています。

私は教育勅語を原文並びに読み下し分を載せる必要があると考えました。

それは、日本人の心そのもの、と言って程、強く、美しく、優れた文章で書かれた日本人

に無くてはならない所産であったと考えるからです。

宗教等を通して世界平和、人類共存の道、道義を教えたもう人達は過去にもいましたが、

国、自らがその道を確立して道義国家としての礎を築いたのは、他ならぬ日本だった

と。・・・私はこの勅語を通して思うのです。

人生をどう生きたら良いのか?

日本人として、

家族とは?

友人とは?

夫婦とは?

国家とは?

様々な疑問があるでしょう。

どのように接していけばいいのか?、その過程に何があるのか?、そして、その結果どう

なるのか?

それらは、私には日本人の教育の原点とも言える聖徳太子の十七条憲法での教えや五箇条

の御誓文などを通して日本の歴史上の史実に反映されていると感じます。

そして、明治時代に、この教育勅語が出来たと思っています。





私達の先達の作り出した道義国家、日本の教育の礎を振り返りましょう。


それでは原文を見ましょう。


<教育ニ關スル勅語>(原文)

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此

レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ

兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ

修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開

キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無

窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス

又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所

之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々

服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽




 確かに現代の(戦後の)若者が読むには難しい文章だと思います。しかし、私たちの

先輩は当用漢字のおよそ3.5倍の6300語以上の漢字を常用漢字としていたそうで

す。明治時代の作家達の使用する漢字が難しいと感じるのは当然でしょう。


次に読み下し文を見てみましょう。

その前に休憩しましょう。本日は杉田かおるさんの「鳥の詩」を聴いて下さい。

日本テレビドラマ「池中玄太80キロ」の西田敏行さんの迫力ある演技には感動しまし

た。この曲はこのドラマの挿入歌でした。

鳥の詩 杉田かおる





<教育に關(かん)する勅語>(読み下し文)

朕(ちん)惟(おも)うに、我(わ)が皇祖皇宗、國(くに)を肇(はじ)むること宏遠

(こうえん)に、を樹(た)つること深厚なり。

我が臣民、克(よ)く忠に、克く孝に、億兆、心を一にして、世世(よよ)、厥(そ)の

美を濟(な)せるは、此(こ)れ、我が國體(こくたい)の精華にして教育の淵源、亦

(また)實(じつ)に此(ここ)に存す。

爾(なんじ)、臣民、父母に孝に兄弟(けいてい)に友に、夫婦相(あい)和し,、朋友

(ほうゆう)相信じ、恭儉(きょうけん)、己(おのれ)を持し、博愛衆に及ぼし、學を

修(おさ)め、業を習い、以(もっ)て智能を啓發(けいはつ)し、器(とくき)を成

就(じょうじゅ)し、進(すすん)で公益を廣(ひろ)め、世務(せいむ)を開き、常に

國憲を重んじ、國法に遵(したが)い、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壤無窮

(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。

是(かく)の如きは、獨(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず、又、以て爾(なん

じ)祖先の遺風を、顯彰(けんしょう)するに足らん。

 斯(こ)の道は、實(じつ)に、我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に

遵守(じゅんしゅ)すべき所、之(これ)を、古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外

に施して悖(もと)らず、朕、爾(なんじ)臣民と倶に拳々服膺(けんけんふくよう)し

て、咸(みな)、其(その)を一にせんことを、庶幾(こいねが)う。

明治二十三年十月三十日

御名御璽(ぎょめいぎょじ)





皇祖皇宗(こうそこうそう)・・・皇祖皇宗も天皇(皇室)の祖先のことをいうが、皇祖

は、始祖である天照大神(あまてらすおおみかみ)ないし神武(じんむ)天皇のこと、あ

るいは天照大神ないし神武天皇までの歴代(代代)のこと。皇宗は、第2代綏靖(すいぜ

ん)天皇以下の代代の天皇をいう。

肇(はじ)ムル・・・創り開く 。
 
宏遠(こうえん)・・・広くて遠大なこと。

徳(トク)・・・身についた品性。社会的に価値ある性質。善や正義に従う人格的能力。

すぐれた求道者。

國ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(クワウエン)・・・初代天皇の神武天皇自身天から人間界

の降りてきた「ニニギノミコト」(天照大神の孫)という神様の曾孫(そうそん⇒孫の子

=ひまご)で、天上の神々の中で最高の位にある天照大神の神勅を受けて日本の国を作っ

たという神話を踏まえてのこと。ちなみに日本の国を生んだ神とされる「イザナギノミコ

ト(伊邪那岐命)」が川で左眼を洗ったら現われたのが天照大神である。また、日本は、

「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」(伊邪那美命)が天の浮き橋に立ち、天の

瓊矛(ぬほこ)を下界にさし降ろしてかき回し引き上げたところ、矛先からしたたりおち

た滴(しずく)が固まって島となったとされる。

深厚(しんこう)・・・情け、気持ちなどが心の底から発したものであること。

臣民(しんみん)・・・君主国(明治憲法下の日本)の国民。

克(よ)ク・・・能力を発揮して成し遂げることで、 「能く」と同じ。

億兆(おくちょう)・・・万民。全ての国民。限りなく大きな数。

厥(そ)ノ ・・・「其の」と同じ。すでに述べた事柄に関係する意を表す。

濟(な)セル・・・「成せる」と同じ。つくりあげるの意味。

國體(こくたい)・・・国家としての固有の体制ないし性格、天皇体制の意。

精華(せいか)・・・そのものの真価をなす、立派な点。

淵源(えんげん)・・・物事の拠(よ)って立つ根源。

恭劍(きょうけん)・・・人にうやうやしく、自分は慎み深くすること。

徳器(とくき)・・・善良有為(立派な人格)の人物。

世務(せいむ)・・・世の中に役立仕事。

國憲(こっけん)・・・国の根本法、すなわち憲法。

一旦(いったん)緩急(きんきゅう)アレバ ・・・万一国家に危急の事態が起こった場

合には。

義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ・・・正義にかなった勇気を奮い起こし、国

家・公共のために尽力する。

天壌無窮(てんじょうむきゅう)・・・天地と同じように永久に続くこと。

皇運(こううん)・・・天皇を戴(いただ)く日本国の運。

扶翼(ふよく)・・・たすけること。

遺風(いふう)・・・祖先が残した美風。

古今(ここん)ニ通シテ謬(あやま)ラス・・・昔から今に至る何時の時代に実践しても

間違いのないさま。

中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(もと)ラス・・・我が国で実践しても外国で実践しても

道理に反しないさま。

拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)・・・謹んで捧げ持つようによく守ること。

咸(みな)・・・ 「皆」と同じ。

庶(こひ)幾(ねが)フ・・・願い望むこと。

御名御璽・・・天皇の名前と印のこと。




 私は前回、この口語訳を載せましたが、ここに加えておきます。


朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極め

て広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよ

く忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげ

て来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。


汝(なんじ)臣民は、父母に孝をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合

い、朋友互に信義を以て交り、ヘりくだって気随(きずい-自分の思うまま)気侭(きま

ま-他人に気がねなく自分の思い通り)の振舞をせず、人々に対して慈愛を及ぼすように

し、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益

を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵

守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)け

て皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(かぎ)りなき宝祚(あ

つまひつぎ)の御栄(天皇陛下の御運勢)をたすけ奉(たてまつ)れ。


かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもな

おさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫

たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。

この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正

しい道である。

朕は汝臣民と一緒にこの道を太切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。



 

戦後生まれの私はこの「教育勅語」と言う名こそ知っていましたが、内容は全く知らず

におよそ50年と言う月日を経て来てしまいました。

 私たちの先輩は「道義国家」を国の目標に掲げ、西洋や米国の脅威に晒されながらも必

死に生きてきた事が解ります。

この教育勅語は天皇自身も国民と一緒に大切な勅語を守って、徳を高めていこうという

決意が書いてあります。


このブログをご覧になる方は、戦争を知らない世代の方が大半だと思います。

戦争という言葉こそ使いませんが、世の中を見ると、この平和な世界の中で目に見えない

戦いがいくつも続いています。

例えば、「営業」では競争の原理が働いています。

この競争を止めて、世界中が平和な落ち着いた生活を営んで欲しいと思います。が、現在

では理想の域を出ません。

先達は戦後の日本について、この勅語の他に「第九条」、「政教分離」、「教育と家

族」、「国会」、「基本的人権と表現の自由」など改善の余地のある項目を

挙げておられます。

ですが、これらは憲法を改正すれば大部分は改善出来るのでは?

と思いました。

憲法を改正して

明日を担う若者よ!

知恵と勇気を持って!

どうぞ日本の未来をもっと輝かしい国にして下さい。


黎明の瑞穂の國の初日かな



最後にヴィヴァルディの「四季」から「冬」を聞いて下さい。この曲は私がクラッシック

音楽を好きになるきっかけになった曲です。

Vivaldi The four seasons - Winter - Julia Fischer






参考資料

櫻井よしこ著  気高く、強く、美しくあれ   小学館  2006年8月






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