月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

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明治の世から(2)

2010年07月03日 09時10分10秒 | 日記
本日は教育勅語についての感想等を書きます。

若い世代の人々に伝えたい事があります。前書きが今度も長くなりますが、

是非心に留めて下さい。


幼い時は未だ明治生まれの方々が多くいました。

この歳で思いますのは、明治生まれの方々、戦争を経験なされた方々の精神的な強さに脱

帽し敬意を表したい事は勿論ですが、悲惨な戦中、戦後を生き抜いて来られた方々に対し

て、「戦争をしない、悲劇を繰り返さない世の中を創って行く」事こそ大事と思いまし

た。

大事な命が華々しくも戦場に散って行った事を真摯に受け止めています。






 戦前は大日本帝国憲法と共に教育勅語、軍人勅諭があった事を知りました。

この憲法は少しずつ内容が明らかになりますと民主的であり、学校で教えられたように天

皇の絶対的権力を認めた“帝国主義的”かつ“軍国主義的”な憲法ではないことが解りま

す。

このことは以前書きました。(下記 ※1~※4を参照)

※1 例えば「告文」である。現憲法の「前文」に当たるこの「告文」では、「朕及朕カ

子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循(シタガ)ヒ之を行フコトヲ愆(アヤマ)ラサルヘシ」と

し、天皇もその子孫も、将来、憲法の定める条項に従って統治することを誤ってはならな

いと規定している。

※2 また第四条は「天皇ハ帝国議会ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ

之ヲ行フ」と定めた。天皇はすべての統治権を司ると規定する一方で、あくまでも統治の

仕方は、憲法の定めるところに従って執り行わなければならないとした。

※3 議会についても、第五条で「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」と、議会

の賛同と支持がなければ天皇といえども立法権を行使できない、天皇単独で立法などはで

きないと定めている。

※4 さらに第八条では、帝国議会が閉会している時は天皇が勅令を出すとしているが、

同条二項は、次の会期で議会が承諾しなければ、その勅令は将来にわたって効力を失うと

定めた。天皇の勅令であっても、議会の承認なしには取り消されてしまうことを、しっか

りと明文化しているのだ。




十九世紀から二十世紀にかけての、国際社会の変化の大潮流の中、西洋や米国列強の弱

肉強食植民地化時代を生きる日本に、進むべき道はいくつもあったとは言えないのではな

いでしょうか?

侵略戦争とかA級戦犯と言う言葉を耳にしたことがありますが、本当に、

日本人の指導者がそのような不名誉な行為をしたとは私は思えません。1972年に日中

国交樹立以来ずっと、日本は中国を侵略をしかけたと言われ続けて来た。

日本非難の論は多くが1931年の満州事変から説き起こされる。これを「侵略戦争」の

出発点と見放す主張だ。

が、国際連盟によって任命されたリットン調査団はどう分析しただろうか?

また、「A級戦犯」にしても、(こう言う言葉は日本語に無いが良い)・・・なぜこれら

の指導者達が戦争をしなければならなかったか?

を考えなければならない。


一休みして次に行きましょう。
私の若い頃、アラン・ドロンの映画の最盛期でした。この「太陽がいっぱい」は
彼の代表作と言ってもいいでしょう。
この曲を通して、作曲家ニーノ・ロータを知りました。
燦々と輝く明るい太陽と青い海に清々しさ・・・。
【太陽がいっぱい ピアノ】Plein Soleil /ニーノ・ロータ 1960年



歴史はいきなり、ある時点から始まるものではない。日本の行動はそのずっと前から多く

の要素の延長線上にある。そのことを見ずして、真っ当な判断は下せない。現在の問題や

紛争を理解するには、歴史をはるか以前まで遡り、全体像を見なければならないからだ。

戦争は一国だけが、或る日突然、一方的に思いついて開始するものではない。

昭和十年代、多くの不穏な動きがあったとはいえ、日本国がいかに戦争を回避しようとし

たか?

反対に、いかに米国と中国が日本に悪意を抱き、挑発し、戦争へと追い込もうとしたか?

私たち、戦後に生まれた者は特に学んでおかなければならない。

また、戦後すぐにGHQ(連合国軍総司令部)は憲法の起草をしたが、他に日本のキリス

ト教化も画策していた事は知っておいた方が良い。





あやめ咲く橋の袂の一葉舟



それでは教育勅語から何かを学ぼう。


教育勅語現代解説(訳文)


『聖訓ノ述義二関スル協議会報告』(1940年、文部省刊)の中の「教育に関する勅語

の全文通釈」を現代仮名遣いにあらため、解説したもの。



朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極め

て広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよ

く忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげ

て来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。


汝(なんじ)臣民は、父母に孝をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合

い、朋友互に信義を以て交り、ヘりくだって気随(きずい-自分の思うまま)気侭(きま

ま-他人に気がねなく自分の思い通り)の振舞をせず、人々に対して慈愛を及ぼすように

し、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益

を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵

守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)け

て皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(かぎ)りなき宝祚(あ

つまひつぎ)の御栄(天皇陛下の御運勢)をたすけ奉(たてまつ)れ。


かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもな

おさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫

たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。

この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正

しい道である。

朕は汝臣民と一緒にこの道を太切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。




有明の片割れ月や白菖蒲



ここで教育勅語の教える十二の徳目を記す


 1. 孝行(こうこう)⇒子は親に孝養を尽くしましょう。

 2. 友愛(ゆうあい)⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。

 3. 夫婦の和(ふうふのわ)⇒夫婦はいつも仲睦(むつ)まじくしましょう。

 4. 朋友(ほうゆう)の信(しん)⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。

 5. 謙遜(けんそん)⇒自分の言動を慎みましょう。

 6. 博愛(はくあい)⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。

 7. 修学習業(しゅうがくしゅうぎょう)⇒勉学に励み職業を身につけましょう。

 8. 智能啓発(ちのうけいはつ)⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。

 9. 徳器成就(とっきじょうじゅ)⇒人格の向上につとめましょう。

10. 公益世務(こうえきせいむ)⇒広く世の中の人々や社会の為になる仕事に励みま

   しょう。

11. 遵法(じゅんぽう)⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。

12. 義勇(ぎゆう)⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。



潮来市のあやめ園より



教育勅語は根本的理念が主権在君並びに神話的国体観(伝統的な権威を持つ天皇陛下を

国の頂点に戴き、その下で為政者が実権を握って政治を行う国の仕組み)に基いていると

され、基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなるものとして排除さ

れました。

しかし、この国会決議は、GHQ(連合国軍総司令部)の強要により「教育勅語を指導理念

とすること」を否認したのであり「教育勅語の内容自体を否定」したのではありません。

 現に教育勅語は名望ある教育者によって「純然たる道徳訓」として大切にされていま

す。

 私たちの先輩は道徳訓に恵まれましたが、戦後教育の是非に大変な苦労をされたことが

窺えます。戦後生まれの私は内容そのものを全く知らなかったのでした。

 今、私はこの勅語を把握していない人があったら不幸な人だと考えます。


戦前は家族関係を含め、こうした心の部分を教える教訓があったことを

有り難く思う者です。

人間の暮らしのなかで、何が本当に大事であるのか?

皆が幸福に過ごせる社会を創るのに必要なことはなにか?

それは特別なことではなく「当たり前のこと」つまり常識や良識である。

と諭されます。

人間として家族にどう振る舞うのか?

友人関係はどうすればいいのか?

夫婦関係はどうすればいいのか?

年長者にはどう接していけばいいのか?

幼い者をどう守ってやればいいのか?

社会の中でして良いことと悪いことをどう判断すればいいのか?

それら、全て、長い日本の歴史の中で洗われ、選択され、是として確立されてきた常識や

思いやりを基に考えれば自ずと答えは出てくる。


平凡な当たり前の価値観かもしれないが、この価値観無しには社会運営は決してうまくい

かない。

この価値観がちりばめられているのが教育勅語と言ってよいでしょう。

日本の伝統であり、普遍性が込められています。

私は長い間、キリスト教に縁があったものでしたが、

あの分厚い聖書と比較すると何の為に聖書を読んできたのか?

実に過去の私が愚かであったと残念でなりません。

「虚しいものに使えてはならない。」との聖書の言葉が心に反復し響いています。

・・・皮肉ですね。

虚偽はあくまで虚偽です。信用出来ないものです。

そんなものに大事な時間さえ掛けたくもありません。

皆さんは私の蹉跌から何かを学んで頂きたい。私の轍を踏まないようにして下さい。

これについては「私の体験から思う事」を参照して下さい。


最後にニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」を聴いて下さい。
この曲を聴くと紅顔無垢な17歳位に戻れそうな感じがします。
恋の炎が情熱をおびて熱くそして悲恋がせつなく・・・。

Romeo and Juliet what is a youth




参考資料

櫻井よしこ  気高く、強く、美しくあれ   小学館  2006年8月





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