このごろ、ラジオの国会中継を聞くのが苦痛になった。前は建設的な議論も少しはあったが、いまは戦前に時代が巻き戻されていくような有様だ。そんな中で、文字もなかったころの伝承と歴史との区別もつかない元気のよい保守系の「ご婦人」たちは、今回の石原慎太郎東京都知事の「従軍慰安婦」とされた女性たちへの「強制された証拠はない(これ以降は筆が汚れる)」という、この世のものとは思えない発言をどう受け止めているのだろう。
「あの人たちのような境遇でなくてよかった」「あの人たちのおかげで家族や自分は日本兵の性的暴力から守られた」と思うだけで、同じ女性(当事者の方には不本意かも?)として、人間の尊厳を再び踏みにじった言動に、抗議をする気さえないのであろうか。
沖縄の「従軍慰安婦」という点では、だいぶ前にドキュメタリー映画「アリランのうた―オキナワからの証言」を観た。まだ沖縄に土地勘のない時代だったし、くわしい内容までは定かではないが、その映画の女性監督朴壽南氏が、上映後のトークの中で「慰安所のことを語る沖縄の男の情けない顔」という言葉が印象に残る。苛烈な地上戦を経験し、反基地運動をやってきた沖縄の男たちも、できれば触れたくない部分なのか。
この宮古島にも大戦末期、3万の守備隊に十数か所の慰安所があり、そこにいた当事者の証言集をもらっているが、ぱらぱらと捲るだけでも重過ぎてまだ読み切れていない。証拠云々と同じレベルの話はしたくはないが、日本政府の調査で何も出てくるはずがない。自らの非を認めないのは67年間変わりがなく、それが福島につながり、いろいろよけいな理由はあるにせよ、今回のしょうもない騒動で事態の悪化につながっている。
今度の9月2日には、上野野原にあった慰安所の近くに建立された「アリランの碑」の4周年の祈念会が行われる。これまでは一緒に建立にかかわったわけではないのでと躊躇していたが ことしは証言集を読み切り、心して参加したいと思っている(普)