文章も人柄もいつもは温厚な筆者の(空)も今回は腹に据えかねるものが感じられる。激しい筆致である。
「はだかの王さま」(行雲流水)2015年6月16日(火)
デンマークの童話作家アンデルセンに『はだかの王さま』という作品がある
▼昔、ある国の城に王さまが住んでいた。王さまはきれいな服が大好きで、望むことは、新しい服をきて皆からほめられることだった
▼ある日、詐欺師が街にやってきて、「自分は布織り職人で世界で一番美しい布が織れる。ただ、自分にふさわしくない仕事をしている人とバカには見えない服だ」と言う。王さまは早速注文し、早く見たいのだが、もし布が見えなければ、バカということになるので、部下の大臣を見に向かわせる
▼当然、大臣には布は見えないのだが、「大変けっこうなものです」と報告する。役人たちも「これは美しい」と、口をそろえる。そのような状況をいいことに、詐欺師は高額の材料費を請求する
▼ひとりが「この立派な服をパレードの時におめしになったらどうですか」と提案、その通りにする。ところが群集の中で見ていた一人の子どもが王さまに向かって「王さまははだかだよ」と言う。子どもの言った言葉がひそひそと周囲に伝わっていき、ついには、みんなが「王さまは裸だぞー」と叫ぶ。王さまは困るが、今さらパレードをやめるわけにもいかず、今まで以上にもったいぶって歩き続けたとさ
▼この童話を現代の世相に照らして読むのもおもしろい。都合によっては黒を白という御用学者。自己保身にきゅうきゅうとする取り巻き。詐欺師も見え隠れする。何よりも、主権者である国民の、真実を正しく見る能力と態度の重要性を、教えられる。(空)
「植民地」(行雲流水)2015年6月13日(土)
宮古島はかつて琉球王国の植民地であった。慶世村恒任の『宮古史伝』第四編第七章に落書(らくしょ)事件の記述がある。1860(万延元)年、波平島尻輿人なる人の宮古島の窮状を訴える文書が発覚して琉球王朝に処罰された事件である
▼文書は三カ条からなる大方次のような内容である。一、琉球は小国にして大国の狭間にあって政治が思うようにならず財政は窮乏し、下々のものは貢納に追われて休む間もない。一、宮古島は古くは独自の政治を行ってきたが、琉球王国の属領になってしまった。しかし、宮古島の住民は大和を親国と思っている。一、かなうことならこの思いが大和の高官に届き、悪政に困窮し疲れはてた島民を救ってくだされば喜んで大和に服すものです
▼琉球王府はこの文書を反逆と断定して波平を捕縛し共謀者4人とともに裁き波平は死罪、ほかの4人は流罪となったが、波平の場合はその妻子まで流罪になっている
▼当時、日本も琉球も政治状況は末期であった。波平が大和人に密書を託したのは時期が悪かった。支配体制が危機的状況にあると体制に反する行為は必然的に厳しい処分になる。ましてや属領の住民が他国に救援を求めるなど許されない
▼現代では属領とか植民地などの言葉を聞くことはほとんどない。自由と民主主義が共有されて自治区、信託統治などといわれるようになったからだろう。ところが驚いたことに「沖縄の現状は植民地」と言い出す政治家が沖縄にいた
▼沖縄は租税負担にあえぎ、言論の自由もない万延元年の宮古島と同じ状況ではない、とすれば植民地発言は政治活動としての反政府・反日スローガンか。(凡)
「はだかの王さま」(行雲流水)2015年6月16日(火)
デンマークの童話作家アンデルセンに『はだかの王さま』という作品がある
▼昔、ある国の城に王さまが住んでいた。王さまはきれいな服が大好きで、望むことは、新しい服をきて皆からほめられることだった
▼ある日、詐欺師が街にやってきて、「自分は布織り職人で世界で一番美しい布が織れる。ただ、自分にふさわしくない仕事をしている人とバカには見えない服だ」と言う。王さまは早速注文し、早く見たいのだが、もし布が見えなければ、バカということになるので、部下の大臣を見に向かわせる
▼当然、大臣には布は見えないのだが、「大変けっこうなものです」と報告する。役人たちも「これは美しい」と、口をそろえる。そのような状況をいいことに、詐欺師は高額の材料費を請求する
▼ひとりが「この立派な服をパレードの時におめしになったらどうですか」と提案、その通りにする。ところが群集の中で見ていた一人の子どもが王さまに向かって「王さまははだかだよ」と言う。子どもの言った言葉がひそひそと周囲に伝わっていき、ついには、みんなが「王さまは裸だぞー」と叫ぶ。王さまは困るが、今さらパレードをやめるわけにもいかず、今まで以上にもったいぶって歩き続けたとさ
▼この童話を現代の世相に照らして読むのもおもしろい。都合によっては黒を白という御用学者。自己保身にきゅうきゅうとする取り巻き。詐欺師も見え隠れする。何よりも、主権者である国民の、真実を正しく見る能力と態度の重要性を、教えられる。(空)
「植民地」(行雲流水)2015年6月13日(土)
宮古島はかつて琉球王国の植民地であった。慶世村恒任の『宮古史伝』第四編第七章に落書(らくしょ)事件の記述がある。1860(万延元)年、波平島尻輿人なる人の宮古島の窮状を訴える文書が発覚して琉球王朝に処罰された事件である
▼文書は三カ条からなる大方次のような内容である。一、琉球は小国にして大国の狭間にあって政治が思うようにならず財政は窮乏し、下々のものは貢納に追われて休む間もない。一、宮古島は古くは独自の政治を行ってきたが、琉球王国の属領になってしまった。しかし、宮古島の住民は大和を親国と思っている。一、かなうことならこの思いが大和の高官に届き、悪政に困窮し疲れはてた島民を救ってくだされば喜んで大和に服すものです
▼琉球王府はこの文書を反逆と断定して波平を捕縛し共謀者4人とともに裁き波平は死罪、ほかの4人は流罪となったが、波平の場合はその妻子まで流罪になっている
▼当時、日本も琉球も政治状況は末期であった。波平が大和人に密書を託したのは時期が悪かった。支配体制が危機的状況にあると体制に反する行為は必然的に厳しい処分になる。ましてや属領の住民が他国に救援を求めるなど許されない
▼現代では属領とか植民地などの言葉を聞くことはほとんどない。自由と民主主義が共有されて自治区、信託統治などといわれるようになったからだろう。ところが驚いたことに「沖縄の現状は植民地」と言い出す政治家が沖縄にいた
▼沖縄は租税負担にあえぎ、言論の自由もない万延元年の宮古島と同じ状況ではない、とすれば植民地発言は政治活動としての反政府・反日スローガンか。(凡)