平和を創り出す宮古ネット通信

宮古島の平和を願う3人の市民が始めたブログ。平和を阻む政治状況とたたかう市民の行動を載せる。美しい自然、環境問題も。

「4・28」を考える宮古のつどい

2013-04-28 20:26:30 | インポート

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今日はサンフランシスコ条約の内容から始まり、1960年の沖縄県祖国復帰協議会宮古支部の結成大会から1972年の5・15県民総決起大会までの、沖縄の人々の考えの変遷とその背景について話を聞きました。体験者の話は何度聞いても貴重なものです。状況も自分も変わっていく中で、違うことが見えてきます。

仲宗根将二先生はいつも歴史資料を添えて話されるので、状況がリアルに届きます。サンフランシスコ条約の第三条「琉球および小笠原」については「合衆国のいかなる提案にも同意する」と書いてありました。まさに4月28日は日本が施政権を放棄した日にもかかわらず、「主権回復」とはどういうことか? また、仲宗根先生は復帰協の「1960年の大会スローガンは心情的であった」と評価しています。スローガンは「民族の悲願 祖国復帰」「もう堪えられぬ、沖縄を祖国へ」「民族の悲願を全世界に訴えよう」といった内容でした。それが、1972年の県民総決起大会では具体的に「四次防と自衛隊の沖縄配備に断固反対し、軍用地契約を拒否して財産を守ろう」「27年に及ぶアメリカの不当支配を糾弾し、一切の損害賠償をかちとろう」などの内容に変わっていった。そこには、少女や少年の命が奪われても、米兵が無罪になる現実があった、という。
『日刊 南沖縄』という宮古島の新聞コピーも資料にあり、公文書館の建設も必要だと思いました。沖縄島ではかなりの人が集まったということですが、生きた歴史、生きた言葉を積み重ねていく粘り強いたたかいを、宮古でも続けていくことが、荒れ地に種を撒く仕事だと思いました。(ya)


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