ちょんまげ一代

日本一のちょんまげ、南伊豆の料理宿「ホテル山海」のあるじがお届けする人生泣き笑い。

奇跡だった「水だけ飲んでいた」 命救った空気だまり 

2009年10月29日 | 私の頭の中
転覆した第1幸福丸(右)から、海上保安庁の隊員に救助される乗組員(中央の横になっている人物)。左の船上には先に救出された乗組員2人の姿も見える=28日午後0時48分、八丈島近海 船底を上に浮かぶ第1幸福丸。海上保安庁の巡視船「いず」の潜水士が船底をたたくと「救助が来たことが分かった」という乗組員の“返答”があった。連絡を絶ってから4日。奇跡的に救出された乗組員3人は、空気が残る船内の居住室で救援を待っていた。

 「食事はなく、水だけを飲んでいた。水も少ししかなかった」

 乗組員らは、そう話したという。暗闇の中、いつ救助の手が差し伸べられるか分からない状態。そのままで息絶える不安と闘いながら、3人は耐え続けた。

 海上保安庁によると、3人は1~2日、八丈島の病院に入院する。脱水症状はあるが、話すことも、歩くこともでき、健康状態に問題はない。八丈町消防本部によると、3人は搬送時に「(ひっくり返り)天井が床になった状態で過ごしていた」と話したという。

 「居住室が“空気だまり”となって、呼吸が可能だった」。東京海洋大大学院の大津皓平特任教授(操船学)は、幸福丸が船底を上向きで海面に浮いていた状態に着目。「転覆した際、3人はたまたま居住室にいたので無事だったのでは」と推測した。

 また、大阪府立大大学院の池田良穂教授(船舶工学)は、「強い波でも船体が破損せず空気が抜けなかったことや、4日分の空気がもつ広い空間があったことなど、幾つかの幸運が重なって生存につながった。閉鎖空間で沈没や窒息の恐怖と闘いながら、救助を信じ続けた乗組員の精神力には頭が下がる」と話した。

 一方、救命ボートで見つかった船長の牧山新吾さんは死亡した。遭難当時の八丈島付近は台風20号が通過し、天候は大荒れ。海難事故に詳しい田川俊一弁護士は「海上に吹きすさぶ風で体温が奪われ、悲劇に見舞われたと考える」とした。

私の知人の旦那さんが下田港の金目船に乗って仕事をしているんです

事件の船とは関係ないので、多少安堵している

それにしても3人の無事を祈ります 早く元気な姿をみたいですね

                       ちょんまげ一代


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