ちょんまげ一代

日本一のちょんまげ、南伊豆の料理宿「ホテル山海」のあるじがお届けする人生泣き笑い。

超貧乏の家だった。

2008年07月18日 | 私の生まれた所
私の母は体が丈夫でなかった。
心臓が弱くいつも呼吸はゼーゼーと鳴っていた。
母は思い物は持てなく家でほとんど寝ていた。
父親は大工で真面目に働いていたようだった。
父親の口癖は「何事も真面目に働けば必ず大きな実が成る。」
おばーさんは私をおんぶしてどこでも連れていった。
多分、母が病弱なために母親代わりになっていたと思う。
夜、寝、時はおばーさんと一緒だった。
敷き布団は無く「わらふとん」だった。
田畑は少なくお米も少なかった。
お爺さんの時代に田畑を借金の代わりに取られたそうだ。
食べ物も少なくいつも「雑炊」の中に野菜や大根の葉っぱだった。
近所のおばさんが野菜などを持ってきてくれていた。
食べ物は雀や野ウサギなどを捕まえて食べた。
秋になると、タニシやドジョウなど取ってくるとおばーさんが
喜んで味噌汁の中に入れて食べさせてくれた。
おばーさんの喜ぶ事は薪を拾ってくると助かる助かると言って喜んだ。

次回に次く    ちょんまげ

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