ちょんまげ一代

日本一のちょんまげ、南伊豆の料理宿「ホテル山海」のあるじがお届けする人生泣き笑い。

アキノ元大統領が死亡

2009年08月01日 | 私の頭の中
結腸ガンで闘病中のフィリピンのコラソン・アキノ元大統領が1日早朝、マニラ首都圏マカティ市の病院で死亡した

「ピープルパワー」と呼ばれる民衆の力で86年2月、20年以上続いたマルコス独裁政権を倒して大統領に就任

東南アジアに初めて民主化をもたらし、ミャンマー(88年)や冷戦崩壊後の東欧の民主化運動に影響を与えた。退任後も、常に民衆の側に身を起き、反政府の運動に参加するなど「シンボル」的存在だった

アキノ氏は昨年3月、結腸ガンで闘病中だと公表して以来、入退院を繰り返していた

裕福な政治家の家庭に生まれたアキノ氏は、54年にベニグノ・アキノ元上院議員と結婚

反マルコスを掲げていた夫が83年8月、亡命先の米国から帰国直後に空港で暗殺されて以降、普通の主婦から、政治の場に担ぎ出された

86年2月の大統領選ではカトリック司教協議会の支援を受けたアキノ氏と、当時現職のマルコス氏が立候補し、選管と民間の選挙監視団体が別々の結果を発表した

マルコス政権に反発した国軍幹部が決起し、民衆も巻き込んだ「ピープルパワー」が起こり、アキノ氏が第11代大統領に就任した

6年間の在任期間中は、強固な政治基盤を持たなかったために、政権内で求心力が低下

任期中に発生した7度のクーデターに対応するうちに、軍の発言力が高まった

農地改革なども十分に行われず、国民に不評を買った

引退後は、政治の一線から身を引いていた

01年に当時のエストラダ大統領を追放した「ピープルパワー2」や、最近では、改憲を推し進めようとするアロヨ政権に反対する運動にも加わり、一定の発言力を維持していた

「ピープルパワー」を利用して大統領と言う椅子に座って6年だった

初めは庶民からの人気が多かったが永い歳月が経過する事により庶民から離れて
権力者になってしまうのではないか?

もし、裸の王様にならなかったらもっと大統領を続けていられたと思う

私は当初のアキノ大統領は高感度が高かったんですが、、、、、残念      

ご冥福を祈ります

                         ちょんまげ一代


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