ちょんまげ一代

日本一のちょんまげ、南伊豆の料理宿「ホテル山海」のあるじがお届けする人生泣き笑い。

岩見隆夫のコラムを見ました

2009年07月20日 | 私の頭の中
近聞遠見:09年夏、「新党のすすめ」=岩見隆夫
 戦後、生まれては消えていった新党は数知れない。

 「新党は成功したためしがない」

 と言われてきたが、それぞれの必然性、存在理由、役割があった。長く残る古参組は日本共産党(64年)、自由民主党(54年)、公明党(45年)の3党だけだ。

 新党構想が不発に終わったケースも、これまた数知れない。一例をあげる--。

 田中角栄首相が金脈批判で退陣に追い込まれた1974年11月末、自民党内ではひそかに<上州連合>の画策が進んでいた。

 三角大福中の5実力者時代である。田中の後継者選定がはかどらない。そこで、

 「いかなる田中亜流政権も認めない。亜流は国民の期待を裏切る」

 という名分のもと、2人の上州(群馬県)男、福田赳夫と中曽根康弘が握手したのだ。中曽根は、

 「田中・大平両派包囲作戦に出るしかない。党を割って別党を作る」

 と決意し、福田も同調した。三木派も加え3派で約90人、これで総選挙をやればブームが起こり、150人はいける、と踏んだ。政権は福田↓中曽根でつなぐ。まさに上州新党だった。

 裏方をつとめた安倍晋太郎、中尾栄一、中川一郎、石原慎太郎らは新党の盟約に興奮し、石原は、

 「新党名は革新自由党でいこう」

 と叫んだという。だが、12月1日、椎名悦三郎副総裁が、

 「後継は三木武夫君……」

 と裁定して、あっけなく収束した。工作も頓挫したが、福田、中曽根はその後首相に就いている。

 政治の変わり目には、必ず新党が生まれた。旧体制を離脱して、変革の先駆者たらんとし、時代を駆け抜ける。

 新党は不成功、というが、自民党と決別して新自由クラブに賭けた河野洋平、社会党から離れて社民連の旗を掲げた江田五月が、曲折を経てそれぞれ衆参両院議長の栄職に上りつめたのは偶然だろうか。新党には勇気とエネルギーがいる。

 さて、09年夏、大きな転換の季節だ。新党の動きが目立ってきた。すでに自民党を離れ新党旗揚げを明らかにしている平沼赳夫元経済産業相、渡辺喜美元行政改革担当相の2人、新党構えの鳩山邦夫前総務相、その気配を漂わせている中川秀直元幹事長ら数人の実力者たち。鳩山は最近も、

 「泥舟にしがみついているよりは、新しいものを作りたい。新党旗揚げに張り切る自分の姿を頭に思い描いていることがあるのは事実だ」

 と意欲を語っている。

 また、中央政界だけでなく、発言力を強めている大阪府の橋下徹知事ら改革派の<首長連合>が、将来の新党結成を視野に入れているのも、新潮流として注視に値する。橋下は、

 「次の総選挙でいろんなことが起きても、すぐ次の次の総選挙が近づいてくる。国会はグチャグチャになり、自民、公明、民主の枠組みが崩れることは間違いない」(4日、松山市の講演で)

 と政界再編必至の見方を示した。長老の塩川正十郎元財務相も、

 「この選挙を機会に少数政党がどんどんできて多党化し、政界再編的なことが起きるだろう」

 と同じような新党・再編論だ。

 35年前の上州連合のころとは政治状況が違う。自民党が老い、衰弱した。この難所は政党の離合集散(再編)のエネルギーによって切り抜けるしかない。

確かに感銘する

                      ちょんまげ一代

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿