ちょんまげ一代

日本一のちょんまげ、南伊豆の料理宿「ホテル山海」のあるじがお届けする人生泣き笑い。

三遊亭円楽さん 江戸っ子らしい亡くなり方

2009年10月31日 | 私の頭の中
信念の人、だった円楽さん テレビやラジオで人気者になったが、師匠に「芸が荒れた」と注意されると番組をすべて降板
5年間、高座に集中して芸を磨いた

真打ち制度のあり方に異議を唱え、師匠とともに落語協会を脱退

その後の一門会を率いた。一門会が約40人の大所帯になったのは、信望を集めたゆえだ

脳梗塞(こうそく)で倒れたのは平成17年

長く司会を務めていたテレビ番組「笑点」の司会を勇退した。高座復帰を目指して19年2月、国立名人会に臨み、十八番の古典「芝浜」を演じたが、

「だめだった  恥はさらせない」と引退宣言

弟子や後輩たちを静かに見守る道を選んだ

福岡市中央区のホールで初日を迎えた

「博多天神落語まつり」

では、円楽の襲名が決まっている三遊亭楽太郎さん(59)ら「笑点」メンバー6人が気丈に高座をつとめた

開演にあたり、観客に

「腹の底から笑って、明日のエネルギーにしてください  命がけの高座を楽しみに」

と語りかけた楽太郎さん

「(ショックで)何も話すことができない」と報道陣の取材を断った

楽屋では三遊亭小遊三さん(62)が、ぼそりと

「信じられない、としか言えません。落語界にいてくれないと困る人なのに」

一方、「笑点」の司会を継いだ桂歌丸さん(73)は、横浜市内の自宅で取材に応じた

「落語以外は器用にできない人  その不器用さが『笑点』を面白くした」

と語り、

「まだまだ教わりたいことがたくさんあった  これからの落語を考えていたのに…」

と惜しんだ様子を  今朝のテレビで紹介されていた

私の知人は円楽さんの番組は大好きみたいで良くみていたが残念だったと言っていた

私も残念な気持ちがいっぱいです

ご冥福をお祈りいたします。

                 ちょんまげ一代



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