「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」
古くから歌われてきた春の七草。
平安時代には貴族たちの間に無病息災を願う行事として正月最初の子の日に
野に出て若菜(春の七草)を摘んで遊ぶ習いからと言われています。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
百人一首 光孝天皇(第58代天皇)「古今集」の歌にもありますね。
江戸時代になると七日が五節供の第一と定められ、万病の災いから逃れるための行事
として若菜節、七種の節などと呼ばれました。
そして庶民の間では、正月六日の夜から七種ばやしといい、若菜をたたいて囃したのち
若菜を粥に入れて七草がゆを作り、神に供え、七日の朝、家族みんなで七草がゆを食べて
祝ったそうです。これはお正月のごちそうで疲れた胃を休めるという知恵、
冬枯れ時期に青ものを補給した先人の知恵ですね。
七草粥は食べると、災いを除け、長寿富貴を得られるらしいですよ。
古くから歌われてきた春の七草。
平安時代には貴族たちの間に無病息災を願う行事として正月最初の子の日に
野に出て若菜(春の七草)を摘んで遊ぶ習いからと言われています。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
百人一首 光孝天皇(第58代天皇)「古今集」の歌にもありますね。
江戸時代になると七日が五節供の第一と定められ、万病の災いから逃れるための行事
として若菜節、七種の節などと呼ばれました。
そして庶民の間では、正月六日の夜から七種ばやしといい、若菜をたたいて囃したのち
若菜を粥に入れて七草がゆを作り、神に供え、七日の朝、家族みんなで七草がゆを食べて
祝ったそうです。これはお正月のごちそうで疲れた胃を休めるという知恵、
冬枯れ時期に青ものを補給した先人の知恵ですね。
七草粥は食べると、災いを除け、長寿富貴を得られるらしいですよ。