コラム第46回を掲載していただきました。
パウロとフィレモンとオネシモ(46)「秘められた計画」
―使徒と預言者たちに啓示されたもの―
前回、「エフェソ書は教会論を述べている」とお伝えしました。教会を表現する場合、1章22~23節においては、「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」と、キリストの体とされていました。今回の箇所では、教会を建物に例えています。
2章20節前半に、教会は「使徒や預言者たちという土台の上に建てられています」とあります。この場合の使徒というのは誰を指しているのでしょうか。マッテヤを含む12使徒やパウロのことを指しているのかもしれません。しかし、注解書などを見てみますと、第1コリント書12章28節の「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師(後略)」やエフェソ書のこの節を根拠に、使徒とは「最初期の教会における最も重要な職務の担い手」などとされていて、ここではむしろこの言葉の定義付けがなされているように思えます。
預言者というのは、旧約聖書に登場する預言者ではなく、最初期の教会において、霊に満たされて福音を語っていた人たちとすることができましょう。そして、その使徒と預言者たちが教会の土台となっているとされています。
続けて、「そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」と記されています。かなめ石というのは、「アーチ型の玄関のてっぺんにある石」とも説明されますが、私は思い切ってロシアの教会から説明を試みたいと思います。ロシアに行きますと、ロシア正教会の会堂はどこも、尖塔に「タマネギ」と呼ばれるものを付けています。写真は、2007年にロシアのハバロフスクを訪れたときに撮影したウスペンスキー教会です。てっぺんに三つと手前に一つ、十字架の下に付いているのが通称「タマネギ」です。
以下は
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29868/20210819/paul-philemon-onesimus-46.htm
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