これを見て、
これを思い出したワタシって・・・
と思ってたら、実は案外まっとうな反応らしいよ。
一応、文末に参考記事のリンク貼っとくけど、
翻訳がこなれてないので非常に読みにくいです。
ってことで、ワタシが勝手に要約しておく。
「美」とは本能的な直感と、学習と経験によって得た記憶=知識という、
二つの異なる脳の反応によって識別される。
しかし知識は誰もが持っているとは限らないわけで、
古典的な彫刻が広く一般的に美しいと評価されているのは、
それがある意味、「美のスタンダード」として、
普遍的に認識されていることの証明である・・・と言いたいのだろう。多分。
つまり、ミケランジェロの「ピエタ」を美しいと思うのは普通だが、
ツルギとメビウスにそれを見出すワタシってどうよ?っちゅう話だ罠。
ちなみにピエタとは、「嘆き」とか「悲しみ」を意味するイタリア語である。
ミケランジェロの「ピエタ」とは、
十字架から降ろされた死せるキリストを前にした、
聖母マリアの沈痛な悲しみを表現したものであり、
ルネサンス期(16世紀)のローマ法王・ユリウス二世の墓所を飾るために、
巨匠ミケランジェロ・ブオナロッティが製作した、
美術史上に燦然と輝く傑作である。
(ワタシはダビデの方が圧倒的に好きですが)
演出家がこの彫刻を意識していたか否かはこの際置いといて、
特撮の着ぐるみに 向かって 「ピエタ!」 とほざくワタシってどうよ?
この時の岩田栄慶(ツルギ)と和田三四郎(メビウス)の芝居が、
そのくらい神がかっていたのは確かである。
差し伸べた手に、精一杯の感謝の意を込めるツルギ。
はっとしてそれを強く握り締めるメビウス。
ここでツルギがわずかに腰を浮かせて身をよじるのがなんともまた・・・(´д`*)
やがて苦しげに一度喘いだ後、静かに死の訪れを待つツルギ。
成す術も無く、呆然とそれを見ているしかないメビウス。
甲冑に隠れて見えないツルギの視線が力なくメビウスを捕らえ、
そしてわずかに微笑もうとして叶わず、
その目から光が失われる瞬間まで、
余すところ無くこちらに伝わってきたではないか。
もう泣けるわ鳥肌が立つわで、
まぢで 「こいつら何者やねん!」 と思った罠。
石に刻まれた「ピエタ」と違って、これは一瞬の奇跡である。
生きた人体による表現であるが故に、
それはより刺激的かつ肉感的であると同時に、その美は脆くうつろいやすい。
DVDメディアとて永遠ではない。
そこでフィギュアですよ!
プラスチックのミニチュアレプリカではあるが、
ワタシにとっては古代ギリシャ~ローマ~ルネサンスを経て、
ウルトラマンへと受け継がれた普遍的な美の象徴ですからね。
ミケランジェロの彫刻にだって、
古典的&理想的なプロポーションのモデルがいたわけだしね。
でも聖母マリアは女だろって?
いやいや。絵画であろうが彫刻であろうが、
ミケランジェロは男のモデルしか使わなかったのですよ。
ふっふっふ。(←何故笑う)
参照記事