『時の海鳴り』はワタシにとって最も印象深い回の一つである。
それは太田 愛女史の脚本によるところが大きいのだが、
絵的にも極めて秀逸であったことは、以下の画像が示すとおりである。
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ふわりと宙に舞い上がったメビウスが、背後の満月と重なり合う瞬間である。
メビウスは戦うために地球にやってきた若き戦士というふれこみである。
なるほど。その端正な顔立ちには、またあどけなさがありありと残っている。
しかしそのたくましい肢体は、成熟した男そのもの。
一見無垢な少年のようでありながら、その性的すぎる肉体はなんだ!みたいな。
これがいわゆるアンビバレンツな魅力ってやつなんでしょうね。
見ているこっちも既に成熟して久しい人なので、
その辺りはぬかりなく、且つ、目ざとくチェックしてしまうわけですよ。
そんな時、ふいに目に飛び込んできたのが、宙を舞う岩田メビウスであった。
「こんなウルトラマンはいまだかつて見たことがない!」
まるで重さを感じさせない、軽々とした飛翔。
これは羽根のない天使の仕業か?
はたまた、見えない羽衣をまとった天女(ヲイ)の舞いか?
否、これは監督・アベユーイチが仕掛けた、卓越した視覚マジックである。
音もなく月の高さに達するその跳躍力。
そして広げた腕が月の直径と一致する、一瞬の奇跡。
(実はものすごく意図的な構図なんだけどね)
これはウルトラマンの超人性と神秘性を見事に描写した名演出であるといえよう。
しかし、手法云々は全くの後付にすぎない。
我々は只々、岩田メビウスのしなやかな腕と、絶え入るばかりの細腰と、
まさに超人そのものであるその『飛翔の舞』に感嘆するしかないのである。
元から伸身宙返り系の技って好きなんだよね。
やっぱ回転数より飛形姿勢でしょ。なんてね。
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んなことを言ってる間に、今度はそれにひねりを加えてきた。
しかも片腕は指先まできれいに伸ばしたままで。
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普通に立ってる時でもこんだけ腰ひねれるか?
とりあえずワタシは無理だ。
しかも、この体勢では着地点はおろか、
ほとんど何も見えない状態で飛んでるんじゃないかと思う。
しかしこの人は、ちゃんとカメラの位置と、
それに対する自分の体の向きを把握していて、
自ら「見え方・映り方」を意識して調整しているように見える。
つまり『時の海鳴り』も『故郷のない男』も、
奇跡的なシーンではあるが、そこには確かな必然性があり、
我々が見ている映像は単なるまぐれ当たりでもなければ、
100テイク撮った中の奇跡の1テイクでもないのだ。
そこに在るのは、類稀な演出をひねり出す監督と、
それを的確に具現化しようとする表現者との、身を削るようなせめぎあいだ。
岩田氏の正確な身長は知らないが、一見して180cmはゆうに越えている。
なのにありえないくらい身が軽い。しかも極めて柔軟性が高い。
ワタシが常々、この人を他のスーツアクターさんとではなく、
各種ダンサーと比較するのには、実はこういうわけがあるのですよ。
最近だと、フィギュアスケーターの表現と共通するものを感じたね。
わずか数ミリのエッジに体重を預けて氷上を舞うスケーターと、
ほとんど視界を奪われたまま、超人として振舞うスーツアクター。
その身にかかる負荷は異なるが、
アスリートでありながら、また同時に表現者である点で、
彼らの立ち位置は案外近いような気がする。
せわしなさの中で、とりとめもなくふとそんなこと考えてみたりする、
師走のぢゆんこです。
それは太田 愛女史の脚本によるところが大きいのだが、
絵的にも極めて秀逸であったことは、以下の画像が示すとおりである。
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ふわりと宙に舞い上がったメビウスが、背後の満月と重なり合う瞬間である。
メビウスは戦うために地球にやってきた若き戦士というふれこみである。
なるほど。その端正な顔立ちには、またあどけなさがありありと残っている。
しかしそのたくましい肢体は、成熟した男そのもの。
一見無垢な少年のようでありながら、その性的すぎる肉体はなんだ!みたいな。
これがいわゆるアンビバレンツな魅力ってやつなんでしょうね。
見ているこっちも既に成熟して久しい人なので、
その辺りはぬかりなく、且つ、目ざとくチェックしてしまうわけですよ。
そんな時、ふいに目に飛び込んできたのが、宙を舞う岩田メビウスであった。
「こんなウルトラマンはいまだかつて見たことがない!」
まるで重さを感じさせない、軽々とした飛翔。
これは羽根のない天使の仕業か?
はたまた、見えない羽衣をまとった天女(ヲイ)の舞いか?
否、これは監督・アベユーイチが仕掛けた、卓越した視覚マジックである。
音もなく月の高さに達するその跳躍力。
そして広げた腕が月の直径と一致する、一瞬の奇跡。
(実はものすごく意図的な構図なんだけどね)
これはウルトラマンの超人性と神秘性を見事に描写した名演出であるといえよう。
しかし、手法云々は全くの後付にすぎない。
我々は只々、岩田メビウスのしなやかな腕と、絶え入るばかりの細腰と、
まさに超人そのものであるその『飛翔の舞』に感嘆するしかないのである。
元から伸身宙返り系の技って好きなんだよね。
やっぱ回転数より飛形姿勢でしょ。なんてね。
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んなことを言ってる間に、今度はそれにひねりを加えてきた。
しかも片腕は指先まできれいに伸ばしたままで。
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普通に立ってる時でもこんだけ腰ひねれるか?
とりあえずワタシは無理だ。
しかも、この体勢では着地点はおろか、
ほとんど何も見えない状態で飛んでるんじゃないかと思う。
しかしこの人は、ちゃんとカメラの位置と、
それに対する自分の体の向きを把握していて、
自ら「見え方・映り方」を意識して調整しているように見える。
つまり『時の海鳴り』も『故郷のない男』も、
奇跡的なシーンではあるが、そこには確かな必然性があり、
我々が見ている映像は単なるまぐれ当たりでもなければ、
100テイク撮った中の奇跡の1テイクでもないのだ。
そこに在るのは、類稀な演出をひねり出す監督と、
それを的確に具現化しようとする表現者との、身を削るようなせめぎあいだ。
岩田氏の正確な身長は知らないが、一見して180cmはゆうに越えている。
なのにありえないくらい身が軽い。しかも極めて柔軟性が高い。
ワタシが常々、この人を他のスーツアクターさんとではなく、
各種ダンサーと比較するのには、実はこういうわけがあるのですよ。
最近だと、フィギュアスケーターの表現と共通するものを感じたね。
わずか数ミリのエッジに体重を預けて氷上を舞うスケーターと、
ほとんど視界を奪われたまま、超人として振舞うスーツアクター。
その身にかかる負荷は異なるが、
アスリートでありながら、また同時に表現者である点で、
彼らの立ち位置は案外近いような気がする。
せわしなさの中で、とりとめもなくふとそんなこと考えてみたりする、
師走のぢゆんこです。